問いは「一人」で抱え込まない 〜孤独な探究が「共鳴の場」で花開くとき〜

■ はじめに:「問いと共にある」生き方、その新たな側面

先日の記事で、私にとっての「探究」とは、必ずしも明確な答えを出すことではなく、むしろ「問いを持ち続け、その問いと共にある時間」そのものなのではないか、というお話をしました。すぐに理解できないこと、割り切れないことの傍らに静かに座り、その「わからなさ」に誠実に触れていようとする姿勢。

しかし最近、その「探究」という営みについて、もう一つ、私の中で非常に大切な気づきが生まれてきました。それは、「問いとは、一人きりで孤独に抱え続けるものというより、信頼できる誰かと分かち合い、共に育てることで、思いもよらないほど豊かで深いものへと変わっていく」ということなのです。

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探究とは何か? 〜答えではなく「問いと共に生きる」という私の日常〜

■ はじめに:「探究」が、いつしか私の“日常の体質”になっていた

「探究」という言葉を、私が意識して使い始めたのは、一体いつからだったでしょうか。

正直なところを告白しますと、使い始めた当初は、どこか自分自身が知的なものに憧れて、少し背伸びをして選んだ言葉のような、そんな気恥ずかしさも感じていました。

しかし最近、ふとした瞬間に、こんな気づきが訪れたのです。

「探究とは、もはや特別な行為ではなく、自分にとって呼吸をするように自然な“日常の体質”のようなものになっているのではないか」と。

それは、単なる旺盛な知的好奇心とも、何かを学び続けたいという向上心とも、少しニュアンスが異なる感覚です。もっと静かで、より個人的で、そして時として切実な、“すぐには答えの出ないもの、簡単には割り切れないもの、そのわからなさそのものに、ただ触れていたい、留まっていたい”という、心の奥底からの欲求に近いものかもしれません。

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自由の不安と「意味づけの力」 〜キェルケゴールに学ぶ、自己決定の重さと可能性〜

■ はじめに:「選べるはずなのに、なぜか重苦しい」自由の正体

情報は私たちの指先にあり、選択肢はかつてないほど豊かに広がっています。「自分のやりたいことを、自由に選んでいいんだよ」——そんな声が当たり前のように聞こえる時代に、私たちは生きています。

しかし、その輝かしい「自由」の裏側で、こんな感覚を抱いたことはないでしょうか。

「選択肢は目の前にあるのに、なぜか一歩を踏み出せない」

「自分で決めたはずなのに、これで本当に良かったのかという不安が消えない」

「あまりに多くの可能性を前にして、かえって途方に暮れてしまう」

この、“自由であるはずなのに、なぜか感じる重圧や不安”。この感覚に、最も深く、そして鋭く向き合った思想家の一人が、19世紀デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールです。彼の思索は、現代を生きる私たちの「自由と幸福」を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれます。

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なぜ、私たちは“自分の選択”に満足できないのか? 〜選ぶ自由と、後悔しない心の整え方〜

■ はじめに:「選べる自由」が、かえって私たちを不自由にすることがある

現代は、かつてないほど多くの選択肢にあふれた時代だと言われます。働き方、住む場所、日々の食事、消費する情報、そして人生のパートナーに至るまで——私たちは、原理的には「自由に選べる」という、恵まれた環境に生きているはずです。

それなのに、なぜ多くの人が、心の中でこんな風に感じてしまうのでしょうか。

「どれを選んでも、結局は“正解”ではなかったような気がする」

「何かを選んだあとで、必ず『もっと良い選択があったのではないか』と後悔の念に駆られる」

「選択肢が多すぎて決めきれず、そんな自分に自己嫌悪を感じてしまう」

なぜ、私たちはこれほどまでに“自分の選択”に心から満足することが難しいのでしょうか? この根源的な問いに対して、心理学や行動経済学の研究が示すいくつかの興味深い知見に触れつつ、私の視点から「選択における本質的な満足感とは何か、そしてそれはどのように育まれるのか」というテーマを掘り下げてみたいと思います。

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共鳴する「場」は、どう生まれるのか? 〜言葉ではなく、“在り方”が空間を創り出す〜

■ はじめに:「特別な場所」ではなく、「特別な空気」が人を変える

人が、普段は心の奥底にしまっているような本音を、安心して語り始めることができるとき。

あるいは、難しい問題に対して、思いもよらないような創造的な解決策が、まるで自然に湧き上がってくるとき。

そのような瞬間が訪れる「場」には、一体何があるのでしょうか?

豪華な会議室でしょうか? 洗練された議題でしょうか? いいえ、必ずしもそうではありません。むしろ、最も本質的な要素は、もっと目に見えない、しかし確実に感じ取れるものの中にあります。

それは、“不用意な沈黙を怖れる必要がないという暗黙の空気”であり、“何を語っても、頭ごなしに否定されることはないだろうという深い確信”なのです。私がこれまで創り出してきた探究講座などの場が、なぜ参加された方々の内面に静かな、しかし確かな変化をもたらすことがあるのか? もしその理由を探るとすれば、そこで交わされる特定の情報や知識の内容以上に、その場全体を包み込んでいる“空気感”、そして、その空気感を醸成する“ファシリテーター(私自身を含む)の在り方そのもの”に、大きな秘密があるように、私は感じています。

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「わかり合う」の先にあるもの 〜“ありのまま”を許し合い、存在で響き合う関係へ〜

■ はじめに:「わかってもらえない」という、根源的な怖れ

「人と深く繋がりたい。けれど、本当の自分を理解してもらえないのではないか…」

「この想いが伝わらなかったらどうしよう。誤解されてしまったら、きっと深く傷つく…」

このような、他者との間に横たわる「わかり合えなさ」への怖れは、程度の差こそあれ、多くの人が心のどこかで抱えている感覚なのかもしれません。私自身も、特に若い頃は、自分の内側にある複雑な感情や考えをありのままにさらけ出すことに、強い躊躇を覚えていました。

しかし、様々な人間関係や自己探求のプロセスを通して、ある時ふと、こんな気づきが訪れたのです。

もしかしたら、「互いを完璧にわかり合う」ことを関係性のゴールにしてしまうと、その繋がりはかえって脆く、壊れやすいものになってしまうのではないか?

むしろ、「ありのままの互いを、ただ許し合う」ことを関係性の土台(前提)に置いたとき、初めて、より深く、本質的な繋がりが育まれ始めるのではないか?と。

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「変わったね」と言われた時。〜意志で生きる自分と、変化する人間関係〜

■ はじめに:「以前のあなた」を求める世界との、静かなズレ

自分自身の内なる声に耳を澄ませ、「真の自己」として、「意志」をもって選択する生き方へ——。

そんな風に、ご自身の在り方を少しずつシフトし始めると、これまで慣れ親しんできたはずの人間関係の中に、“微妙な、しかし無視できない違和感”が生まれ始めるものです。

周りの人から、こんな風に言われた経験はありませんか?

「なんだか最近、少し冷たくなったように感じるよ」

「前のあなたは、もっと周りに気を遣ってくれていたのに」

「付き合いが悪くなったんじゃない?」

こうした言葉に、戸惑ったり、少し寂しさを感じたり、あるいは「自分は間違っているのだろうか?」と不安になったりしたことがあるかもしれません。

しかし、私の視点から見れば——その違和感や周囲からの反応は、必ずしもネガティブなものではありません。むしろそれは、あなたが“誰かの期待や古い脚本に応える”生き方から、“自分自身の中心軸に戻り始めた”ことの、大切な証でもあるのです。

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揺らぎの中で「意志」を支える3つの土台 〜身体・環境・対話で“選び続ける力”を育む〜

■ はじめに:意志は“根性”だけでは、脆く、続かない

「これからは、自分の意志で生きるのだ」——そう決意しても、私たちの心は、日々の出来事や内なる感情によって、容易に揺れ動きます。それが人間という存在の自然な姿なのでしょう。

前回お話ししたように、「揺れること」自体は、私たちが本気で人生と向き合っている証でもあります。しかし、その揺らぎの中で、当初の「意志」を見失い、元の慣れ親しんだ脚本へと安易に引き戻されてしまっては、変容への歩みは止まってしまいます。

私たちはときに、「もっと意志を強く持たなければ」「精神力で乗り越えなければ」と、自分自身を“根性論”で奮い立たせようとします。しかし、私がこれまでの探求と実践を通して痛感してきたのは、意志を持続させるためには、精神力以上に、それを支えるための具体的な“構造”や“土台”が必要であるということです。

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揺らぎの中で「意志」を保つには? 〜身体・環境・対話で整える、TOSHIの実践〜

■ はじめに:「意志」で選んだはずなのに、なぜ揺れるのか

「これからは、自分の意志で生きる」

「過去の脚本ではなく、真の自己として選択していく」

これまでの探究を通して、そう心に決めたとしても。私たちの日常には、予期せぬ出来事や、内側から湧き上がる感情によって、その決意が揺らぐ瞬間が必ず訪れます。

  • 信頼すると決めた相手に裏切られたように感じて、心が折れそうになる。
  • 言葉を尽くして伝えたはずなのに、全く理解されず、徒労感に襲われる。
  • 勇気を出して本音を表現した結果、かえって孤独を感じてしまう。

かつての私なら、そんな時「やはり自分はダメなのか」「意志が弱いのだ」と自己否定に陥っていたかもしれません。しかし、今は少し違います。私は、こうした“揺れ”や“ブレ”を、決してネガティブなものとしてだけ捉えません。むしろ、それこそが、私たちが「本気で自分の人生を生きようともがいている証拠」なのだと感じるのです。

一見すると常に強く、淀みなく進んでいるように見える人よりも、むしろ「揺れている、ブレている。けれど、その度に立ち止まり、自分自身と向き合い続けている」人の中にこそ、私は本質的な強さや、人間的な深みを見出すように感じます。

この記事では、そんな「揺れる時期」にこそ意識したい、“自らの意志を保ち、しなやかに貫くための、内なる自己メンテナンス術”について、私が日々実践している3つの視点から書いていきます。

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意志で選ぶ関係性 〜感情の波を超え、深く響き合う繋がりへ〜

■ はじめに:感情で繋がる関係から、意志で築く関係へ

前回は、「真の自己」とは感情にただ流されるのではなく、「意志」をもって選択できる存在なのではないか、というお話をしました。無意識の脚本から自由になり、自身の内なる声に耳を澄ませ、主体的に「こう在りたい」と選び始める——。

しかし、この内なる変化は、必然的に私たちの人間関係にも静かな、しかし確かな影響を及ぼし始めます。

これまで私たちが無意識のうちに築いてきた関係性の多くは、「感情の反応」に基づいていたのかもしれません。

  • なんとなく気が合うから、一緒にいる。
  • 不安だから、相手に確認や保証を求めてしまう。
  • 寂しいという感情に突き動かされて、誰かと繋がろうとする。
  • 怒りを感じたから、反射的に距離を置いてしまう。

これらはごく自然な心の動きです。しかし、「真の自己」と繋がり、感情に気づきながらも「意志」で行動を選び始めると、こうした感情ベースの関係性に、ふと違和感を覚えたり、これまでとは違う関わり方を模索し始めたりする瞬間が増えてくるのではないでしょうか。

なぜなら、あなたの選択の基準が、「その瞬間の感情を満たすこと」から、「長期的な信頼や、互いの成長に繋がる在り方」へと、少しずつシフトしていくからです。

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