揺らぎの中で「意志」を保つには? 〜身体・環境・対話で整える、TOSHIの実践〜

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■ はじめに:「意志」で選んだはずなのに、なぜ揺れるのか

「これからは、自分の意志で生きる」

「過去の脚本ではなく、真の自己として選択していく」

これまでの探究を通して、そう心に決めたとしても。私たちの日常には、予期せぬ出来事や、内側から湧き上がる感情によって、その決意が揺らぐ瞬間が必ず訪れます。

  • 信頼すると決めた相手に裏切られたように感じて、心が折れそうになる。
  • 言葉を尽くして伝えたはずなのに、全く理解されず、徒労感に襲われる。
  • 勇気を出して本音を表現した結果、かえって孤独を感じてしまう。

かつての私なら、そんな時「やはり自分はダメなのか」「意志が弱いのだ」と自己否定に陥っていたかもしれません。しかし、今は少し違います。私は、こうした“揺れ”や“ブレ”を、決してネガティブなものとしてだけ捉えません。むしろ、それこそが、私たちが「本気で自分の人生を生きようともがいている証拠」なのだと感じるのです。

一見すると常に強く、淀みなく進んでいるように見える人よりも、むしろ「揺れている、ブレている。けれど、その度に立ち止まり、自分自身と向き合い続けている」人の中にこそ、私は本質的な強さや、人間的な深みを見出すように感じます。

この記事では、そんな「揺れる時期」にこそ意識したい、“自らの意志を保ち、しなやかに貫くための、内なる自己メンテナンス術”について、私が日々実践している3つの視点から書いていきます。

1. 「身体」の声に立ち返る:思考のループから、“いま、ここ”の感覚へ

「意志」で生きようと強く意識しすぎると、私たちは時として「頭(思考)だけ」で世界を捉え、行動しようとしがちです。それは、前回までにお話ししてきた“感情に支配される”状態とはまた別の、しかし同様にバランスを欠いた落とし穴——つまり、“思考に偏りすぎ、身体感覚から切り離されてしまう”状態です。

頭の中だけでグルグルと考え続け、出口が見えなくなってしまったとき。私が意識的に取り入れている方法のひとつは、思考から離れ、「身体の感覚」に意識を戻すことです。

  • ただ、歩く。特別なことを考えず、ただ“足の裏が地面に触れる感覚”や、身体の重み、風が肌を撫でる感覚に、注意を静かに向けてみます。
  • ゆっくりとお風呂の湯に浸かりながら、思考を意図的に止め、水圧や温かさといった、身体が感じていることにただ意識を委ねる時間をつくります。
  • ふと「肩や背中が固くなっている」ことに気づいたら、それは思考や緊張が溜まっているサインかもしれません。その場で数回、深い呼吸を行い、身体の緊張を緩めることを試みます。

「身体に戻る」ことは、とりもなおさず、「いま、ここ」という瞬間の感覚に立ち返ることです。過剰な未来への不安や過去への後悔といった思考のループから抜け出し、意志を健全に働かせるためには、まずこの身体という“感覚の基地”に、私たち自身がしっかりと立脚している必要があるのです。

2. 「環境」を意識的に整える:安心できる“場”が、選択する力を育む

私たちは、自分が思っている以上に、身を置く「環境」から大きな影響を受けています。物理的な空間だけでなく、人間関係や、普段触れている情報も含めた、広義の環境です。

  • 余計なノイズや、他者の否定的なエネルギーに満ちた場所に長くいると、私たちの意志や集中力は、知らず知らずのうちにすり減っていきます。
  • 他者との比較や競争ばかりが意識される空間では、自分自身の内なる声を見失いやすくなります。
  • 一方で、たとえ短時間でも、安心して自分の弱さや迷いを正直に語れる「安全な場」があると、私たちの心は驚くほど早く回復し、再び前を向く力を得ることができます。

だからこそ私は、常々「場の持つ力」を重視しています。内面を変えようと奮闘するよりも、まず「身を置く“場”を変える、あるいは意識的に選ぶ」ことで、変化がずっと早く、スムーズに進むことがあるのです。

あなたにとっての、“心が落ち着き、本来の自分に戻りやすい、立て直しやすい場所”を、意識的にいくつか持っておくことをお勧めします。それはお気に入りのカフェかもしれませんし、静かに日記を書くための机かもしれません。あるいは、何でも正直に話せる特定の人との「対話の空間」そのものかもしれません。

3. 「対話」を続ける:言語化が、“内なる軸”を確かなものにする

揺れ動きながらも意志を保ち続けるためには、「ひとりで深く内省する時間」と、「信頼できる誰かと語り合う時間」の、両方のバランスが必要だと感じています。

特に、私自身がその効力を日々実感しているのは、“自分の内面にあるものを、言葉にして表現すること”です。

  • 日記(モーニングノートなど)を書くことを通して、日々の思考や感情の揺れ動きを客観視し、自分自身との対話を深める。
  • 答えやアドバイスを求めるのではなく、ただ「思いをそのまま話せる相手」と、結論を急がない、開かれた対話の時間を持つ。
  • 時には、オープンダイアローグのように、明確な答えや解決策が見つからなくても、「よく分からないけれど、今こう感じている」という、プロセスそのものを言葉にして共有してみる。

言葉にする、というプロセスを経るたびに、漠然としていた思考や感情に輪郭が与えられ、自分の中に確かに存在するけれど、普段は意識していなかった“見えない軸のようなものが、少しずつ浮かび上がってくるのを感じます。この「言語化と対話」のプロセス自体が、揺らぎの中で意志を再確認し、更新し続けていくための、最も有効なメンテナンスとなるのです。

■ 「揺れている自分」ごと、信頼する力へ

「意志を貫く」とは、決して、常に鋼のように強く、一切ブレずにあり続けることではないのだと、私は思います。それは、人間には不可能でしょう。

むしろ、自分が揺れていること、迷っていること、時に弱さを感じることを、まず正直に受け止め、それでもなお、「こちらへ進みたい」という内なる方向性を見失わずに、再び歩き出すこと——そのプロセスの中にこそ、「意志」の本質があるのではないでしょうか。

疲れて立ち止まっても、また歩き出す力があること。

弱さを感じても、自分自身との対話を諦めないこと。

時に孤独を感じても、自分が本当に信じたいもの、大切にしたいものを手放さないこと。

それは、「誰よりも揺るがない強い自分」を目指すというよりも、「どんなに揺れても、必ず本来の自分に戻ってくる力を持った、しなやかな自分」になる、ということなのかもしれません。

■ 結びに:小さくても、深いメンテナンスを、あなたの日々に

意志を貫き、自分らしく生き続ける力は、何か特別な機会に得られるものではなく、驚くほど「日々の小さな習慣」によって静かに支えられています。

朝、一杯のコーヒーを、ただ丁寧に淹れて味わうこと。

一日の中で数分でも、自分の呼吸の深さに意識を向けること。

眠る前に、「今日一日、私はどんな在り方で過ごしたいと願っていたか」と、ひとこと自分に問いかけてみること。

その一つひとつは、取るに足らない小さな行為に見えるかもしれません。しかし、その積み重ねこそが、予期せぬ出来事や感情の波に直面したときに、あなた自身の内なる状態を整え、主体的な選択を可能にする“演出力”を、着実に鍛えていくのです。

今日もまた、揺れながらも「選び続けるあなた」が、確かにここにいるのです。

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