
■ はじめに:「特別な場所」ではなく、「特別な空気」が人を変える
人が、普段は心の奥底にしまっているような本音を、安心して語り始めることができるとき。
あるいは、難しい問題に対して、思いもよらないような創造的な解決策が、まるで自然に湧き上がってくるとき。
そのような瞬間が訪れる「場」には、一体何があるのでしょうか?
豪華な会議室でしょうか? 洗練された議題でしょうか? いいえ、必ずしもそうではありません。むしろ、最も本質的な要素は、もっと目に見えない、しかし確実に感じ取れるものの中にあります。
それは、“不用意な沈黙を怖れる必要がないという暗黙の空気”であり、“何を語っても、頭ごなしに否定されることはないだろうという深い確信”なのです。私がこれまで創り出してきた探究講座などの場が、なぜ参加された方々の内面に静かな、しかし確かな変化をもたらすことがあるのか? もしその理由を探るとすれば、そこで交わされる特定の情報や知識の内容以上に、その場全体を包み込んでいる“空気感”、そして、その空気感を醸成する“ファシリテーター(私自身を含む)の在り方そのもの”に、大きな秘密があるように、私は感じています。
■ 「共鳴の場」を育むために、私が大切にする3つの要素
私にとって「共鳴の場」とは、単に参加者が意見交換をするだけの対話の場ではありません。それは、“そこにいる一人ひとりの本質的な部分が、安心して触れ合い、影響し合い、結果として自然な自己変容や新たな気づきが生まれてくるような、生きた空間”のことです。
そのような空間が立ち上がるために、特に場をホールドする立場として、私が意識的に大切にしていることが3つあります。
1|「意図のない、純粋な関心」——相手を“変えよう”としない、ただ寄り添う姿勢
私たちは、誰かの話を聞くとき、無意識のうちに「何か役に立つことを言ってあげたい」「問題を解決してあげたい」「より良い方向に導いてあげたい」といった、“善意の意図”を持ってしまいがちです。
しかし、人が本当に安心して心を開き、自身の内面を探求し始めるためには、こうした「相手を変えよう」とする意図は、時に逆効果となり、むしろ相手を緊張させ、心を閉ざさせてしまうことがあります。「意図のある“善意”ほど、受け取る側にとって重たく感じられるものはない」と、私は経験から学んできました。
共鳴の場に必要なのは、まず「ただ、目の前の相手とその人の内なる世界に、純粋な関心を向ける」ことです。評価も、分析も、解決策の提示も、一旦脇に置く。答えを急がず、ただ“今ここ”に存在し、相手が語る言葉、そして語られない沈黙にも、静かに耳を傾け、寄り添う。この意図のない、オープンな姿勢こそが、相手の内側に深い安心感を生み、本当の自己開示を引き出すための、何よりも大切な土台となります。
2|「判断を、意識的に保留する」——“正しい”も“間違い”も、一旦置いておく勇気
人と人とが深く繋がり、共鳴が生まれる場では、「どちらが正しいか」「どちらが間違っているか」という二元論的な判断を探さないことが、暗黙の大前提となります。
私たちは日常、無意識に価値のラベル貼りをしています。「それは素晴らしい考えですね」「それは少し違うのではないでしょうか?」。しかし、共鳴の場においては、こうした“価値判断のラベル”を意識的に脇に置き、「その人にとっては、それが今、リアルな真実なのだろう」と、まずは丸ごと受け止めてみる姿勢が求められます。
私が対話の中で大切にしているのは、「語られた言葉の内容(What)」そのものの正しさよりも、むしろ「その人が、どのような背景や想いから、その言葉を語っているのか(Why/How)」という、言葉の奥にある深部に触れようとすることです。表層的な意見の交換ではなく、その人の存在そのものに関心を寄せる。その関心の向け方が、空間全体を柔らかくし、本質的な対話への扉を開きます。
3|「沈黙に、意味を見出す」——言葉にならない“間の豊かさ”を尊重する
会話の中に「沈黙」が訪れると、私たちはしばしば不安になります。「何か気の利いたことを言わなければ」「この気まずい間を、早く埋めなければ」「相手の問いにすぐに答えを返さないと、失礼にあたるのではないか」…。
しかし、私はむしろ、こう考えています。
「沈黙こそが、その人の内側で、言葉にならない何かが“まさに今、深く動いている”ことの、かけがえのない証である」と。
言葉にならない想い、整理しきれない感情、あるいは、言葉にする前の深い気づき。そうしたものが内側で静かに生まれている時間を、急かさずに、ただ尊重し、待つことができること。沈黙の中にこそ、“その人自身の本音の胎動”や“新たな意味が生成される瞬間”があると信じられること。これが、共鳴の場における、最も重要で、最も豊かな“余白”なのです。この余白を許容できるかどうかが、場の深さを大きく左右します。
■ 共鳴の場は、“誰か一人が創る”のではなく、“全員の在り方”から立ち上がる
そして、場づくりをする上で、私自身も常に心に留めていることがあります。それは、「場というものは、主催者やファシリテーターという“誰か特定の個人の提供物”なのではなく、究極的には、“その場に居合わせる全員の在り方”の相互作用から、自然と立ち上がってくるものだ」ということです。
もし、私が関わる探究講座などの場が、時に自然と深い学びや変容を生むことがあるのだとしたら。それは、私が参加者に対して「絶対的な正解を提示する権威者」として振る舞うのではなく、むしろ“自らも迷い、揺れ動きながら、それでも探求を続ける参加者の一人”として、その場の空気の中に正直に溶け込んでいるからなのかもしれません。
本当の「共鳴」とは、「誰か特定のすごい人に、一方的に感動させられること」ではありません。それは、その場の安全な空気の中で、“自分自身の内側が、自然と静かに開かれていくような感覚”であり、参加者一人ひとりの内側で起こる、主体的な体験なのです。その感覚を信頼し、育むことができる場だけが、本当の意味で「人を内側から変える力を持つ場」となり得るのでしょう。
■ 結びに:あなたの日常に、「本質に戻れる場」をひとつ持とう
このような「共鳴の場」は、必ずしも特別な講座やイベント、ワークショップである必要はありません。
- 話していると、なぜか呼吸が深くなり、心が落ち着く友人との時間。
- 多くの言葉を交わさなくても、ただ隣にいるだけで、安心感に包まれるパートナーや家族。
- あるいは、誰にも邪魔されずに、静かに自分自身と向き合える、モーニングノートを書く時間。
どんな形であっても構いません。あなたが「無理なく、ありのままの自分でいられ、自分自身の本質に立ち返ることができると感じられる空間や関係性」を、日常の中に一つでも持っておくこと。
それが、変化が激しく、情報ノイズも多いこれからの時代を生きていく上で、私たちにとっての「精神的な安全基地」となり、揺れ動きながらも前に進み続けるための、かけがえのない支えとなっていくのではないでしょうか。
まずは、あなた自身の「在り方」を整えることから、始めましょう。