カップルダンス

【2025年6月探究講座】探究講座で浮き彫りになった「対話の“見えない構造”」

「話せばわかる」という幻想の、その先へ

私たちは日々、数えきれないほどの言葉を交わしながら生きています。しかし、その言葉の交わし合いが、必ずしも相手との相互理解や、深い信頼関係に繋がるわけではない。むしろ、良かれと思って発した一言が、深刻な誤解や、消えない傷つけ合いの種になることさえあるのが、人間関係の複雑な現実です。

「なぜ、私たちの会話は、時にすれ違い、時に誰かを傷つけてしまうのでしょうか?」

最近開催した探究講座では、まさに、そんな私たちの日常に潜む「コミュニケーションの見えない罠」を、参加者の皆さんと共に探求する、という試みを行いました。そこで見えてきたのは、私たちの対話が、いかに無意識の「パターン」や「脚本」に支配されているか、という驚くべき事実でした。

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なぜ、二人の問題に“第三者”を巻き込むのか? 〜「三角関係化のダンス」と、向き合うべき本当の痛み〜

■ はじめに:「あの人がいないと、私たちはもうダメかもしれない」という幻想

「もう、あの人が間に入って仲裁してくれないと、私たち夫婦(あるいは親子、同僚)の関係は修復不可能だ」

「彼(彼女)という共通の話題(あるいは共通の敵)がいるからこそ、私たちはかろうじて繋がっていられるのかもしれない」

「私たちの関係がこんなにこじれてしまったのは、きっと、あの人のせいなんだと思う」

こうした言葉が、あなたの心や、あなたの周りの誰かの口から、ふと漏れることはないでしょうか。一見すると、それは特定の状況における、もっともな人間関係の悩みのように聞こえるかもしれません。

しかし、これらの言葉の裏には、本来は“私たち二人だけで、勇気をもって向き合うべきだったはずの課題や感情”を、無意識のうちに“第三の誰か、あるいは何か”を関係性の中に引き込むことで、その直接的な痛みを避け、一時的な安定や安心を得ようとする、根深い心の力動が隠されていることがあります。

私はこの、人間関係における「三角関係化のダンス」を、“直接向き合うことの痛みからの、巧妙な退避構造”として捉え、その深層にあるものに光を当てたいと考えています。

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なぜ、波風のない関係が「心の孤独」を生むのか? 〜沈黙の共依存と、通じ合うための小さな一歩〜

■ はじめに:「喧嘩はない。けれど、なぜか心が遠い」という感覚

「私たちの間には、大きな問題なんて何もないはずだ」

「特に激しい言い争いをすることもないし、表面的には穏やかに過ぎていく毎日だ」

けれど、心のどこかで、こんな風に感じてはいませんか?

  • 会話はあっても、どこか上滑りしていて、本当に深いところで分かり合えている気がしない。
  • 大きな不満があるわけではないのに、ふとした瞬間に、えも言われぬ“孤独”や“満たされなさ”を感じてしまう。
  • 関係性は安定しているように見えるけれど、そこには生き生きとした感情の交流がなく、まるで“凪いだ海”のように、何も動かない息苦しさがある。

これは、一見すると「問題のない良好な関係」のようでいて、実は、“お互いが無意識のうちに争いを避け、本音を飲み込むことによって”かろうじて成り立っている、静かで、しかし根深い「感情のダンス」なのかもしれません。

衝突はしない。しかし、そこでは本物の感情も、切実な欲求も、ほとんど共有されることがない。私はこの、一見平穏に見える関係性の奥に潜む構造を、「情緒的な繋がりが断絶することによって生じる、ある種の共依存状態」として捉え、その深層にあるものに光を当てたいと考えています。

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「支配と服従」の心理的罠 〜なぜ私たちは、不健全な力の構造に“安心”を見出してしまうのか?〜

■ はじめに:「わかっているのに、離れられない」関係性のパラドックス

「モラハラだと、頭ではもう十分にわかっている。けれど、なぜかこの関係から離れられない…」

「あの人がいないと、自分は生きていけないような気がしてしまう」

「理不尽だと心の底では感じながらも、相手の言うことに従ってしまう自分が、もう何年もいる」

「言いたいことが山ほどあるのに、それを飲み込んで我慢してしまうのが、いつの間にか“癖”のようになってしまった」

もしあなたが、特定の誰かとの関係性の中で、このような言葉にならない息苦しさや、自分自身を失っていくような感覚を抱えているとしたら。それは、あなたが今まさに、「支配と服従」という、深く、そして抜け出しにくい人間関係のパターンの中にいることのサインなのかもしれません。

そして、この一見不健全に見える関係性の中には、しばしば“つかの間の安心感や、慣れ親しんだ役割と引き換えに、自分自身の本質的な部分を差し出してしまっている”という、根深い心の構造が隠されています。私はこの構造を、単なる一方的な「力の差」の問題としてだけではなく、むしろ、私たち一人ひとりが持つ「人生脚本」や、幼い頃に形成された「愛や安心の誤認」といったものが複雑に絡み合い、無意識のうちに選び取ってしまった“関係性のあり方”として捉え、探求しています。

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なぜ「正しさ」をぶつけ合うと、心はすれ違うのか? 〜非難と自己正当化のループを断ち切るために〜

■ はじめに:「また、このパターンか…」言い争いの奥にある、見えない脚本

「どうして、いつも私たちの会話は、同じような喧嘩になってしまうのだろう?」

「良かれと思って、自分の考えを伝えたつもりなのに、なぜか相手をさらに怒らせてしまった…」

「この関係、最近どこか息苦しくて、心からの対話ができていない気がする…」

恋人や夫婦の間で、あるいは親子、職場の同僚といった、私たちにとって身近で大切なはずの関係性の中で、なぜ私たちは、しばしば“同じようなパターン”の衝突を繰り返し、そのたびに同じような不快な感情を味わい、そして同じような後悔をなぞってしまうのでしょうか?

この根源的な問いは、単なるコミュニケーションスキルの問題として片付けられるものではなく、むしろ、“私たち一人ひとりという存在の、より深い心の構造”に、そして、知らず知らずのうちに私たちが演じてしまっている“無意識の人生脚本”に、深く関わる重要な探究テーマだと、私は考えています。

私はここで、まずこう問いかけてみたいのです。

その、相手を言い負かそうとする“「正しさ」の主張”は、本当に、お互いの理解を深め、関係性を豊かにするための“対話”のためにあるのでしょうか? それとも、心の奥底にある何かを守るための、無意識の“防衛反応”なのではないでしょうか?

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