選択

なぜ、私たちは“自分の選択”に満足できないのか? 〜選ぶ自由と、後悔しない心の整え方〜

■ はじめに:「選べる自由」が、かえって私たちを不自由にすることがある

現代は、かつてないほど多くの選択肢にあふれた時代だと言われます。働き方、住む場所、日々の食事、消費する情報、そして人生のパートナーに至るまで——私たちは、原理的には「自由に選べる」という、恵まれた環境に生きているはずです。

それなのに、なぜ多くの人が、心の中でこんな風に感じてしまうのでしょうか。

「どれを選んでも、結局は“正解”ではなかったような気がする」

「何かを選んだあとで、必ず『もっと良い選択があったのではないか』と後悔の念に駆られる」

「選択肢が多すぎて決めきれず、そんな自分に自己嫌悪を感じてしまう」

なぜ、私たちはこれほどまでに“自分の選択”に心から満足することが難しいのでしょうか? この根源的な問いに対して、心理学や行動経済学の研究が示すいくつかの興味深い知見に触れつつ、私の視点から「選択における本質的な満足感とは何か、そしてそれはどのように育まれるのか」というテーマを掘り下げてみたいと思います。

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脚本を降りた「私」は何を選ぶ? 〜感情の波を超え、意志で生きる「真の自己」を探る〜

■ はじめに:「本当の自分」への問いが、静かに始まる

「この反応パターンは、もう手放そう」

「この思い込みは、私を縛っていただけだったんだ」

前回の記事までで、「ラケット感情」や「人生脚本」といった、私たちを無意識のうちに動かしてきた心の構造に光を当ててきました。そのプロセスを通して、長年演じてきた役割や、身にまとっていた感情の鎧に気づき、それを少しずつ降ろし始めた方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、その先で、多くの人が新たな問いに直面するのではないでしょうか。

「では、役割や脚本を脱ぎ捨てたあとに残る、『本当の自分』とは、一体何なのだろう?」

「これまで自分だと思っていたものは、作られた仮面だったとしたら、その奥にあるはずの素顔とは、どんなものなのだろう?」

私たちは長い間、「良い子でいなければ」「ちゃんとしなければ」「強くあらねば認められない」といった、“他者からの期待”や“社会的な役割”を自分の本質であるかのように生きてきた側面があります。その役割意識が薄れ、慣れ親しんだ脚本が力を失ったとき、私たちの前に立ち現れてくる、より深く静かで、本来的な自己——それこそが、私たちが探求すべき「真の自己」の姿なのです。

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