こんにちは、TOSHIです。
私が主宰している『濃縮ブログマスター講座』では、毎年たくさんの卒業生を輩出していますが、こんなことを言ってくださった方がいました。
「今を生き切ることの大切さを学びました」
濃縮に生きること、ひいては濃縮な人生にするために、その第一歩がまさにこの「今を生き切る」ということだと思っています。
人は誰でも気を抜くと、過去や未来に意識が流されてしまいがちです。今この瞬間に目を向けるのではなく、過去や未来に意識が行ってしまうのです。意識がこの今この瞬間にない以上、「生き切る」ことはできません。
このことは頭では理屈がわかると思います。でも、腑に落ちないものでしょう。私もそうでした。が、強制的に腑に落とさざるを得ない体験をしたのです。
過去もしくは未来を生きている
私自身は過去に意識が引きずられることが多かったと思います。過去の記憶の中に逃げ込む感じでしょうか。過去の安堵感に逃げ込むのとは逆に、悲観的な未来を想像しては不安になっていました。
あの頃は良かった……
過去の記憶に安心感を覚えるようになったのはいつ頃からでしょうか。かなり昔のことだったかもしれません。少なくとも高校生のときにはありました。
中学のときは部活をして、生徒会活動をして、クラスでも中心的な役割を果たして……と活発だったのに対して、高校は進学校の選抜クラスということもあり、勉強一本でした。そんな高校時代に、中学の頃を思い出しては「あの頃は良かった」と過去の記憶に浸ることが多かったです。
特に社会人になってからは、学生時代を思い出しては「あの頃は良かった」と思い出に浸りました。社会人になると、様々につらいことや困難なことにぶつかります。そんなときは決まって過去の記憶に逃げていました。
しかし、「過去のすべてが良かった」わけではありません。実際のところ、その当時だって苦労することも困難なことも、悩むことも苦しむこともあったのです。そこは無かったことにしてしまっているのです。一面だけ、輝かしいところだけを切り取って、その記憶の部分にだけ逃避していた、というのが正確です。
過去の記憶に浸ることは、そのこと自体は悪いことではありません。思い出を振り返り、過去を追体験することで、その時の満たされた気持ちを再度味わうこともできます。これ自体は豊かなことだと思います。
過去に逃げ込んで、今の現実から目をそらしてしまうことが問題なのです。「あの頃は良かった……」と過去の記憶に浸り、目の前の現実からは目をそらしてとことん見ないようにして、考えず行動しない。
高校でも、中学のときのように活発に活動したければ、できたはずなのです。それを中学のときの記憶に逃げ込むだけで、現実をどうこうしようとはしなかったのです。社会人になってからも、目の前の現実に対しては抗うことをせずに不平不満や愚痴を言うだけで、あとは昔の記憶に逃避していたのでした。
ああなってしまうかもしれない、どうしよう……
過去の記憶に逃げるのではなく、未来の希望に目を向けるのであれば、目の前の現実に対処する前向きなモチベーションを得られることでしょう。でも、得てしてそうではありません。
未来に意識を向けるときは、決まって悲観していました。未来に希望を見ることはなく、常に不安を見ていました。
「ああなってしまったら、どうしよう」「こんなことが起こったら、どうすれば良いんだ」具体的に心配事が想像できる場合もありましたが、ほとんどは漠然とした不安でした。
未来のことなんてわからないのだから当然です。「わからない」ことに対して不安を感じているのだから、どうしようもありません。
先のことを考えることで、不安になっていました。そして、不安になることで、今この瞬間にある目の前のことへ対処する気力を失っていたのです。なんということでしょう。
ビジネスを始めたら強制的に変わった
浸りたい過去なんて無かった
私はもともと会社員でしたが、2014年に起業してビジネスを始めました。もちろん、ご多分に漏れず、すんなり軌道に乗るなんてことはなく、いろいろ回り道をしましたし、お金も失ったし、並々ならぬ苦労もしました。
過去を振り返っている余裕も、先の未来を考える余裕も、まったくありませんでした。目の前のことに真剣に取り組んで、一つ一つ結果を出していくしか他にはなかったからです。
そもそも、「輝かしい過去」なんてありませんでした。会社員生活に絶望し、「もう自分は会社員としては生きていけない」というところから始めたビジネスだったので。
起業してビジネスに邁進していた頃の私は、会社員だった頃の自分自身を全否定していました。「会社員をやってきた約10年は無駄でしかなかった。最初から起業に向けて勉強したり取り組んできていればよかった」と、本気でそう思っていました。
だから、振り返りたい過去なんてものは、当時の私には無かったのです。
逆に「うまくいく未来」で現実逃避
未来に目を向けることもありませんでした。というか、できませんでした。明らかに悲観的な未来しかなかったからです。
お金がみるみる無くなっていって、さらには借金がどんどん増えていく。現実的に考えれば、その先には絶望的な未来しかありません。それなのに一向にビジネスがうまくいく気配はない……。デフォルト状態で悲観的なのです。敢えて悲観的に見る、なんてことをする必要がなかったのです。
むしろ、「うまくいく未来」を無理矢理想像することで、現実逃避するしかありませんでした。これはとても危険なことでしたが、結果的にはこれが良かったということになります。
明るい未来を想像して、そこから現実へのモチベーションを得るということを測らずも実践できたのです。
今この瞬間を生き切る
私は強制的に思考を変えることになりました。
過去には浸っていたいような栄光の記憶はなく、未来は敢えて不安視しないでも普通にいったら絶望しかなかったわけです。過去に意識を向けたくもないし、未来に意識を向けるとしたら、可能性が少ない「うまくいく未来」に逃げるしかなかったのです。
結果的に、今この瞬間の目の前の現実にフォーカスすることができました。若干は夢のような未来に逃避することがありましたが(笑)
今この瞬間だけにフォーカスすること
過去の思い出に浸って時間を潰したり、現実に目を向けないで逃げたりしなくなりました。未来を必要以上に悲観的に見たり、漠然とした未来に不安を感じたりして、無駄にエネルギーを消耗することもなくなりました。
今この瞬間だけに集中できるようになったのです。
もしも私がビジネスでうまくいった秘訣があるとするならば、決して狙ったわけでも計画したわけでもないのですが、このことが一つの大きな要因だったのかもしれません。今この瞬間にフォーカスすること。過去や未来に意識を散らせないこと。
分散されたり、無駄に消耗されていたエネルギーが目の前のことに有効に使われるようになった結果、大きな力を生み出しました。
確かなものは今この瞬間に目の前にあるものだけ
過去は既に過ぎ去ってしまったものです。いくら今から過去のことを考えても、過去を変えることはできません。過去の栄光はあくまでも過去のもので、いくらそれを思ってみたところで、今この瞬間の現実に影響を及ぼすことはありません。
未来はまだ訪れていない時間です。未来のその時間が訪れるのかどうかも実は確定していないわけです。究極的なことを言えば、そのとき自分は死んでしまっているかもしれないし、もしかすると世界が滅んでしまっているかもしれません。
そこまでいかなくても、何かが起きることでまったく違う展開になることは往々にしてあります。2011年の東日本大震災のとき、私は塾講師でその日の授業がうまくいくかどうか心配していたのですが、震災が起こってそれどころではなくなりました。
私たちには、今この瞬間、目の前の現実しかありません。影響を及ぼすことができるのは、働きかけることができるのは、今この瞬間にしかないのです。
「今を生き切る」というのは、この瞬間に目いっぱいフォーカスするということになるでしょう。
今を生き切って、その「今」という精いっぱいに「生き切った」瞬間瞬間を積み重ねていくことでしか、主体的な実りある人生を作っていくことはできないのです。
それが濃縮な人生につながることを確信しています。