なぜ、言葉を尽くしても「伝わらない」のか? ——コミュニケーションのすれ違いを生む、心理的・哲学的視点

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「こんなに伝えているのに…」その嘆きの奥にあるもの

「言葉を尽くして、自分の想いを伝えたはずなのに、相手には全く違う意味で受け取られてしまった」

「良かれと思ってアドバイスしたのに、相手をひどく傷つけてしまったようだ」

私たちは、人生において、こうしたコミュニケーションの「すれ違い」を、一体何度経験するのでしょうか。「伝えたい」という切実な想いが、なぜか相手には届かず、時には関係に亀裂さえ生んでしまう。そのたびに、「自分の伝え方が悪いのだろうか?」と自らを責めたり、「相手の理解力が足りないのではないか?」と相手を断じたりする。しかし、問題の本質は、本当にそこにあるのでしょうか。

今日は、この根深く、そして普遍的な「言葉が伝わらない」という現象の理由について、単なる話し方のテクニックではなく、より深い心理的・哲学的な視点から、私なりの探究を皆さんと分かち合いたいと思います。

■ 第一章:言葉は、それ自体では意味を持たない“ただの器”である

私たちがまず知っておくべき、最も重要な大前提。それは、言葉そのものに、絶対的で、固定的な意味があるわけではない、ということです。

言葉とは、突き詰めれば、私たちの想いや意図を運ぶための、単なる“器”に過ぎません。その器の中に、私たちがどのような感情を、どのような意図を、どのような歴史を込めて相手に手渡すのか。そして、相手がどのような心の状態でその器を受け取るのか。その、目には見えない相互作用のすべてが、言葉が本当に「伝わる」かどうかを決定づけているのです。

例えば、同じ「ありがとう」という言葉。

心からの感謝と尊敬を込めて、相手の目を見て伝えられる「ありがとう」。

あるいは、社会的な義務感や、その場をやり過ごすためだけに、口先だけで発せられてしまう「ありがとう」。

この二つの「ありがとう」という器が、全く異なる重みと温度を持ち、全く違う意味として相手に届くことを、私たちは経験的に知っているはずです。

■ 第二章:すれ違いの正体——「送り手の意図」と「受け手の文脈」という、二つの世界の衝突

では、言葉が「伝わらない」と感じる、その最も大きな理由は何なのでしょうか。それは、「言葉を発する側の“内なる意図”」と、「それを受け取る側の“解釈の文脈”」との間に、深刻なズレが生じているからです。

典型的なのが、「君のためを思って、言っているんだよ」という言葉が、相手には「自分の価値観や意見を、一方的に押しつけられている」と受け取られてしまうケースです。

これは、「君のため」という言葉の背後にある、

  • 送り手側の「善意」や「保護したい」という主観的な文脈
  • 受け手側の「自分のことは自分で決めたい」「干渉されたくない」という、自律性を求める文脈

という、全く異なる二つの「世界観」が、その言葉を介して衝突した結果なのです。送り手は「愛」のつもりで投げたボールが、受け手にとっては「攻撃」のボールとして認識されてしまう。この構造に気づかない限り、すれ違いは延々と繰り返されてしまいます。

■ 第三章:すべての言葉が乗っている、「関係性の地層」を意識する

私がこれまで、探究講座などを通して何度も伝えてきたように、私たちの交わす言葉は、決して真空の中に放たれるわけではありません。すべての言葉は、二人の間に横たわる、固有の「関係性の地層」の上で語られています。

これまでの共有した経験、過去の会話の記憶、解決された、あるいは未解決のままの葛藤、そして築き上げてきた信頼の量——。そうした、目には見えない関係性の歴史のすべてが、まるで地層のように積み重なり、その上で交わされる一つひとつの言葉の意味を、時に何倍にも強調したり、あるいは全く逆の意味合いへと変質させてしまったりするのです。

例えば、深い信頼関係で結ばれた相手からの「大丈夫?」という一言は、心からの気遣いとして温かく響くでしょう。しかし、過去に裏切られた経験のある相手から同じ言葉をかけられたら、それはどこか疑わしい、表面的な言葉としてしか聞こえないかもしれません。

だからこそ、私たちが言葉を発するときには、「今、この言葉が、どのような関係性の地層の上に乗り、相手の耳に届くのだろうか?」という、メタな視点から、その文脈を意識する必要があるのです。

■ 第四章:「伝える力」とは、相手の世界観へと“翻訳”する能力

このことから見えてくるのは、「伝える力」の本質とは、単に「流暢に、論理的に話すこと」では決してない、ということです。それはむしろ、相手の生きる「文脈」や「世界観」を想像し、そこに寄り添う形で、自分の言葉を柔軟に“翻訳”できる能力だと言えます。

  • 相手は今、どのような感情の中にいるのだろうか?
  • 相手は、どのような価値観を大切にしているのだろうか?
  • 相手が、この言葉を誤解するとしたら、どのような解釈をしそうだろうか?

こうした、相手の内的世界への深い想像力を持つこと。その視点を持つことで初めて、「なぜ、私の言葉は伝わらないのか」という問いへの、本質的な答えが見え始めてくるのです。

■ 「伝える」という行為を、“贈り物”として捉え直す

私が、日々のコミュニケーションにおいて、最後に、そして何よりも大切にしているのは、「伝える」という行為は、相手に“贈り物”を手渡す行為なのだ、という視点です。

私たちは、大切な誰かに贈り物をするとき、きっと、その人の好みや、今の気分、置かれている状況などを、真剣に考えるはずです。どんなに高価で素晴らしいものでも、相手が望んでいなければ、それはただの押し付けになってしまうからです。

言葉も、全く同じです。

どんなに「正しい」と信じる言葉でも、どんなに「相手のためになる」と確信している言葉でも、それが相手の心に届き、受け取ってもらえる形でなければ、その価値は半減してしまいます。

つまり、「伝わらない」のは、受け手の理解力がないからでも、感性が鈍いからでもない。多くの場合、それは、送り手である自分自身が、相手の世界観に寄り添い、その人が喜んで受け取れるような、心のこもった「贈り物」として、言葉を丁寧に準備し、選んでいないからなのです。

言葉を「自分の意見を主張するための、ただの道具」と見なすのではなく、「相手との関係性を、より深く、より豊かにするための、かけがえのない贈り物」と捉え直すこと。

この、ささやかで、しかし極めて本質的な哲学的シフトこそが、あなたの言葉を、明日から、本当に「伝わる言葉」へと変えていくのだと、私は信じています。今日、あなたが誰かに言葉を届けるなら、まず、その人の心を想像し、最高の贈り物を準備するように、言葉を選んでみてはいかがでしょうか。

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