
私の仕事の「OS」について、今、語っておきたいこと
前回の記事では、私が自身の仕事の根幹に据えている「濃縮マーケティングの哲学」について、その考え方の骨子をお話ししました。
今回は、そこからさらに視点を内側へと向け、「では、なぜ私自身が、そのような一見すると非効率で、ある意味“商売下手”とも言えるような考え方に辿り着いたのか」——その背景にある、私自身の個人的な歩みと、そこに通奏低音のように流れ続けている思想の源泉について、少し正直に綴ってみたいと思います。
■ 1. すべての始まりは、世界に対する「それで、本当にいいのか?」という、静かな違和感
振り返れば、私がビジネスの世界に足を踏み入れた最初の頃から、ずっと変わらずに感じ続けてきたことがあります。それは、世の中の多くのマーケティングやコミュニケーションに溢れる、“無難”な表現や、“最大多数”へと迎合しようとする姿勢に対する、拭いきれない「居心地の悪さ」でした。
「できるだけ多くの人に受け入れられること」と、「本当にそれを必要としている、たった一人の心に、深く響き渡ること」。この二つは、似ているようでいて、その本質は全く異なります。当たり障りのない「無難」な言葉は、確かに広く拡散されやすいかもしれません。しかし、それは人の心を本当に揺さぶり、本質的な行動変容を促すほどの「熱量」を持つことは稀です。大量のプロモーション施策や、誰でも使えるテンプレートが量産される現場で、「誰でも使える当たり障りのないコピー」が、結果として“誰の心にも深くは刺さらない、空虚なメッセージ”になってしまう。そんな現実を、私はこれまで何度も、そして痛いほど目の当たりにしてきました。
■ 2. 「人は、論理ではなく“魂の共鳴”で動く」という、もう一つの真実
ビジネスの世界に身を置きながらも、私の興味関心は常に、心理学や哲学、あるいは人の内面で繰り広げられる、言葉にならない人間ドラマの現場にもありました。
例えば、私が深く探求してきたセドナメソッドや認知行動療法(CBT)、そしてオープンダイアローグといった“人の本音を引き出し、ただそこに共に在ることで共鳴を生み出す場”での体験は、私の中に一つの揺るぎない確信を刻み込みました。それは、「人間という存在は、表層的な論理や正しさによってではなく、もっと深いレベルでの、魂が震えるような“共鳴体験”によってこそ、本質的に動かされるのだ」という感覚です。
どれだけ論理的に優れた提案であっても、どれだけ完璧なデータに基づいた説得であっても、もしその言葉が、相手の「腹の底から、深く納得できる感覚」と繋がっていなければ、人は本当の意味では動きません。そして、その“魂の共鳴”は、決して、当たり障りのないように薄められた言葉や、最大公約数的な中庸の提案からは、決して生まれてはこないのです。
■ 3. 「濃縮」とは、リスクであり、そして“誠実さ”を貫くための勇気
しかし、いざビジネスやマーケティングの現場に戻ると、この「共鳴」を追求する姿勢、つまり、「メッセージを尖らせる」「届ける相手を深く絞り込む」「自分自身の本音や情熱を込める」という選択は、しばしば“ビジネス上のリスク”として捉えられます。
「そんなニッチな層に絞ったら、売上が立たないのではないか」
「そんな強い言葉を使ったら、誰かを傷つけたり、批判されたりするのではないか」
—―そうした、目に見える成果を失うことへの恐れや、他者から否定されることへの恐れが、私たちの表現を、無意識のうちに「無難」で「薄い」ものへと変質させてしまうのです。
しかし、探求と実践を重ねる中で、私の中には、一つの確かな信念が生まれました。
「本当に価値のあるもの、人の人生を変えるほどの可能性を秘めたものは、決して薄めてはならない。たとえリスクを伴ったとしても、勇気を持って、その本質をそのままの純度で伝えなければ、それは届ける意味すらないのだ」売れるために、価値を薄めるのではない。むしろ、「その本質的な価値がわかる人」だけに、深く、そして確かに届くような“濃さ”を選ぶ。その覚悟ある選択こそが、逆説的ではありますが、結果として、短期的な売上を超えた、長期的な信頼や、熱量の高いファンの共同体を創り上げていくのだと、私はこの数年で強く実感してきました。
■ 4. 私が、ビジネスの“目的”そのものを、問い直し続けてきた理由
「一体、何のために、そして誰のために、この仕事をしているのか?」
この根源的な問いを、私は常に自分自身に投げかけ続けています。もし、ビジネスのゴールを「利益の最大化」や「売上数字の達成」という一点だけに設定してしまった瞬間、人も、商品も、そして発信される言葉も、どこか“表面”だけの、魂の抜けた存在になってしまうように、私には思えるのです。
しかし、私たちが本当に届けたいと願っている、そして顧客が心の底から求めている価値とは、多くの場合、そのような短期的な数字では測れない次元にあるのではないでしょうか。
- その人の心に、何年もの間、お守りのように残り続ける“語り継がれる言葉”。
- その人の価値観や世界の見え方を、根底から覆すような“人生を変えるほどの体験”。
- その人が自分自身の可能性を信じ、次の一歩を踏み出すことを後押しするような“魂の共鳴”。
こうした、時間や数値という概念を超えた、深遠な価値の提供。
私がこれまで歩んできたビジネスの道のりも、決して平坦なものではなく、たびたび壁にぶつかり、迷いながらも、常にこの「薄める」よりも「濃くする」という、困難な、しかし譲れない選択を、繰り返し積み重ねてきた歴史でもあります。
■ だから、私はこれからも“濃縮マーケティング”を選び続ける
ここまでお話ししてきた私の個人的な歩みと、そこから生まれた思想のすべてが、「濃縮マーケティング」という、私の仕事の流儀、あるいは「在り方」そのものへと結実しています。
それは、もはや単なるマーケティングの仕組みや技術ではありません。私にとっては、哲学であり、世界との関わり方であり、そして生き方そのものなのです。
「価値を薄めて、万人に愛されようとする」のではなく、
「本当に届けたいと願う人に、その本質を、今の自分の全力の純度で届ける」
これこそが、私がこれからも歩み続けたいと願う“生きるマーケティング”の道であり、「濃縮マーケティング」という哲学の核心です。
これからも、この軸からブレることなく、この哲学をさらに深く探求し、同じ志を持つ仲間やクライアントの方々と、“濃密で、本質的な未来”を、共に創り上げていきたい。心からそう願っています。
もし、この記事を読んでくださっているあなたの中に、この哲学と響き合う何かを感じていただけたなら、とても嬉しく思います。ぜひ、これからの対話の場でも、一緒に、この「濃縮」というテーマについて、語り合っていきましょう。