
「マーケッターとは?」という問いに、今、誠実に答えたい
最近、「TOSHIさんの言うマーケッターって、何をする人なんですか?」と聞かれ、改めて考える機会に恵まれました。
「マーケッター」と言っても、世の中には様々なイメージがあるでしょう。「プロモーションを仕掛ける人」「広告を運用する人」「とにかく売上を上げる人」——それらはどれも、マーケッターの一側面を捉えているに違いありません。
しかし、私の中には、この仕事に対する、もっと明確で、譲れない定義が存在します。
それは、マーケッターとは、流行りのテンプレートをただなぞる“実行者(オペレーター)”ではない。そのクライアント、そのコンテンツホルダーが持つ唯一無二の価値と可能性を、それに最もふさわしい形で市場に届け、顧客との出会いから、販売、そしてその後の関係性構築までの流れを一貫してデザインする“構築者(アーキテクト)”である、という定義です。
■ マーケッターは、単なる代弁者ではなく、魂の「翻訳者」でもある
多くの素晴らしいコンテンツホルダーの方々は、その内に、類稀なる知見や、燃えるような情熱、そして世界に対する独自の問いを持っています。しかし、その「本質的な価値」が、必ずしもそのままの形で市場に受け入れられるわけではありません。
専門的すぎる言葉、抽象的すぎる表現、あるいは、あまりに独特すぎる世界観——。
それらは、時として受け手との間に見えない壁を作ってしまいます。
マーケッターの重要な役割の一つは、その壁を丁寧に取り払い、コンテンツホルダーの持つ“魂の核”を、本当にそれを必要としている人々の「心に届く言葉」へと、深く、そして誠実に翻訳することにあると、私は考えています。
それは、ただ難解なメッセージを平易な言葉に置き換える、という作業ではありません。その言葉が持つ本来の“熱量”や“体温”を損なうことなく、受け手の心の状態や文脈に合わせて表現を調整し、何の違和感もなく、すっと心に入っていくような物語の構造へと、巧みに変換していく。そして、見込み客が「ああ、これは、まさに自分のことだ」と感じられるような、パーソナルなストーリーとして全体を再設計する。それが、私の考える「翻訳」というマーケッターの仕事です。
■ 「型通り」のマーケティングでは、もはや、たどり着けない場所がある
もちろん、マーケティングの世界には、効果が実証された様々なテンプレートや、「王道」と呼ばれるシナリオが存在します。それらを活用することは、確かに一定の効果をもたらすでしょう。
しかし、どんな優れたコンテンツであっても、同じ「型」に流し込めば、同じように売れる、という時代は、とっくに終わりを告げていると、私は強く感じています。
むしろ、これからの時代に何よりも大切になるのは、「この人(コンテンツホルダー)にしか語れない、唯一無二の言葉や物語を、いかにして市場の文脈と響き合わせるか」という、極めて個別的で、創造的な視点です。
そのためには、表面的な販売導線(セールスファネル)を設計するだけでは不十分です。
その手前にある、見込み客(リード)との出会いの設計から、
セミナーや体験会といった、最初の感動を生む「場」の構築、
そして、購入後の顧客満足度を高め、長期的な関係を育むためのサポート体制やコミュニティの設計まで。これらすべてを、「一貫した世界観」と「揺るぎない思想」で繋ぎ、一つの生命体のように、有機的に機能させる必要があるのです。
■ マーケッターは、単なる外部業者ではなく、「コンテンツ提供者の右腕」になれるか
世の中には、「とにかく売れればOK」「売上を上げることが、マーケッターの唯一の仕事だ」と割り切る考え方もあります。それも一つのプロフェッショナリズムの形でしょう。
しかし、私は、単なる外部の業者としてではなく、そのコンテンツホルダーの最も近くで、その人のビジョンや葛藤を共有し、“共に走り、共に探求する存在”でありたいと、心の底から願っています。
だからこそ、短期的な売上数字だけでなく、長期的な関係性の礎となる「リストの質」にもこだわりますし、時には商品そのもののコンセプトや、講座の設計といった、事業の根幹にまで深く踏み込んで、クライアントと真剣な対話を重ねることも厭いません。
なぜなら、私にとっての成功とは、“売れたあとに、その商品やサービスを受け取った人が、本当に心から満たされ、その人生がより豊かになること”までを、しっかりと見届けられて初めて、意味を持つものだからです。
■ だからこそ、私のようなスタンスのマーケッターは、おそらく少数派なのだろう
正直に言えば、このようなスタンスでクライアントと向き合おうとするマーケッターは、ほとんど見かけません。
- 「単価が合わない」
- 「そこまでやるのは、作業量が多すぎる」
- 「成果がすぐには目に見えにくい」
など、理由はいくつも考えられます。ビジネスの効率性という観点から見れば、非合理的だとさえ言えるかもしれません。
でも、私は思うのです。
「この人の持っている、まだ世に出ていない可能性を、もっと多くの人に、もっと深い形で届けたい」
そう心から思える人やコンテンツに出会ったとき、私は自分の持つ時間や知識、そしてすべてのリソースを、そこに注ぎ込みたくなってしまう。そして、そういう「在り方」こそが、マーケッターという仕事が持つ、本来の尊い姿なのではないかと、信じています。
■ 最後に:マーケティングとは、可能性を届けるための、愛ある設計技術
マーケティングとは、ただモノやサービスを売るための技術ではありません。
それは、一人の人間が持つ、かけがえのない可能性を、それを必要とする誰かに届けるための、愛ある技術であり、その人の“人生の軌道”そのものを、より豊かで、より本質的な方向へと変えるかもしれない、深遠な導線を設計する仕事なのです。
私自身、その理想に対して、まだまだ道半ばの未熟な探求者です。しかし、少なくとも、その理想から目を逸らさず、「それを目指し続ける存在」でありたいと、今日もまた静かに、しかし強く、願っています。