なぜ「本気」なのに変われない? 〜変容を阻む5つの“思い込み”と、内なる問いの力〜

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

【はじめに】「あの人は変われたのに、なぜ私は…」という、見えない壁の正体

以前の記事では、ある参加者の方が、ご自身の内面と深く向き合い、確かな変容の道のりを歩まれた姿をご紹介しました。その真摯な姿に、心を動かされた方も少なくないかもしれません。

しかし同時に、「変わりたい」と心の底から何度も願いながらも、日々の忙しさや、いつしか染み付いてしまった思考の癖に埋もれてしまう——そんな“変われないことへの痛み”は、私たち誰にとっても、他人事ではない、極めてリアルな葛藤ではないでしょうか。

私自身、これまで何百人もの方々との対話の場、探究の「場」に立ち会わせていただく中で、この「変わりたいのに変われない」というジレンマについて、深く考え続けてきました。そして、おぼろげながら見えてきたのは、多くの場合、変容を本当に止めているのは、その人の「意志の強さ」や「努力の量」といった問題ではなく、むしろ、変化そのものに対する、いくつかの根深い「誤解」や「無意識の思い込み」なのではないか、ということでした。

今日は、その中でも特に多くの人が抱えがちで、しかしなかなか気づきにくい「変容を妨げる5つの誤解」について、その思い込みの構造を一つひとつ紐解きながら、私の視点をお話ししたいと思います。

【誤解1】「変化とは、すぐに目に見える結果や行動の変化として現れるべきものだ」

「変わった」というからには、具体的な行動が変わっていなければならない。

「変わった」というからには、明確な成果や結果が出ていなければならない。

私たちはしばしば、このように短絡的で、外的な基準によって「変化」を測ろうとしてしまいます。そして、その基準に照らし合わせて、「まだ自分は何も変われていないではないか」という焦りや自己否定の感情を、無意識のうちに生み出してしまうのです。

変容とは、まず“内なる問いの質”が変わることから、静かに始まる

本当の意味での変化は、多くの場合、水面下で、静かに、そして目に見えないところで始まっています。それは、劇的な行動の変化や、華々しい成果として現れるずっと前に、まずあなた自身が、自分自身や世界に対して抱く「問いの深さ」や「問いの質」が変わることから始まるのです。自分に対する問いの視点が変わり、その問いと誠実に向き合い続ける中で、初めて、あなたの内なる世界観が変容し、その結果として、外側の行動は、まるで後からついてくるように、自然と変わっていくのです。

【誤解2】「変わるのならば、欠点のない完璧な自分に、完全に変わらなければ意味がない」

もう二度と怒ったり、落ち込んだりしない自分になるべきだ。

どんな状況でも、一切ブレることのない、鋼のような精神力を持つべきだ。

ネガティブな感情を完全に克服し、常にポジティブな自分でいられなければ、それは成長とは言えない。

…私たちは時として、このような非現実的な「理想像」を無意識のうちに掲げ、今の不完全な自分自身を、その高すぎる基準で厳しく裁き、追い詰めてしまってはいないでしょうか。

変化とは、“揺れ動きながらも、その都度選び続けるというプロセス”であり、“欠点のない別人になること”ではない

私がこれまで繰り返しお伝えしてきたように、「意志とは、決してブレない強靭さのことではなく、むしろ、たとえブレてしまっても、その度に本来の自分に“戻ってくることができる”しなやかな力」のことです。変化とは、今の自分を否定し、全くの別人に生まれ変わることではありません。それはむしろ、自分の不完全さや弱さ、矛盾を抱えながらも、それでもなお「こう在りたい」という方向性を見失わず、日々揺れ動きながらも、その都度、誠実な選択を積み重ねていく、終わりなきプロセスそのものなのです。

【誤解3】「感情に飲み込まれたり、ネガティブな感情を感じたりするのは、ダメなこと、未熟な証拠だ」

感情が大きく揺さぶられてしまうのは、自分がまだ未熟だからだ。

人前で涙を見せてしまったのは、弱い人間のすることだ、負けだ。

怖い、怒り、悲しい、といったネガティブな感情を感じてしまう自分は、成長できていない証拠だ。

こうした「感情=悪」という無意識の思い込みが、私たちが本来持っているはずの豊かな感情のセンサーに、知らず知らずのうちに固い蓋をしてしまい、結果として「変化の最も重要な入り口」であるはずの感情の動きそのものを、自ら閉ざしてしまうことになります。

感情は“変化を促す、かけがえのない触媒”であり、“弱さ”の証明では決してない

むしろ、あなたの感情が大きく動いた瞬間、心が揺さぶられた瞬間こそが、「これまで無意識のうちにあなたを縛っていた古い心の構造が壊れ始め、新しい関係性や、新しい自己理解が芽生えようとしている」極めて重要なタイミングなのです。感情は、抑圧したり、コントロールしたりする対象ではなく、その奥にあるメッセージに耳を澄まし、変化へのエネルギーとして受け止めるべき、かけがえのない“触媒”なのです。

【誤解4】「本当に変わるためには、誰にも頼らず、自分一人の力で変われなければ意味がない」

自力で困難を乗り越え、変わることができた人は素晴らしい。

他人に安易に頼ったり、助けを求めたりするのは、甘えであり、ダメなことだ。

誰かの言葉や影響で心が動いたとしても、それは本当の自分の変化ではない。これは、現代社会に根強く残る“孤独な自己責任論”や“個人主義的な成長神話”に、私たちが知らず知らずのうちに飲み込まれてしまっている状態です。

人は本質的に「関係性の中」でしか、深くは変われない。だからこそ、安全な“場”が必要とされる

私自身、これまでの経験を通して痛感しているのは、「ひとりで深く思考を巡らせているとき」と、「信頼できる誰かと、あるいは安全な場で、心からの対話や問いを交わしているとき」では、私たちの内側で開かれる思考や感情の領域が、全く異なるということです。他者の視点、他者の言葉、他者の存在そのものが、自分一人では決して気づけなかった盲点に光を当て、凝り固まった思考の枠組みを壊し、新しい可能性への扉を開いてくれるのです。真の変容は、孤独な努力の中ではなく、むしろ信頼できる関係性という「場」の中でこそ、安心して育まれていくものです。

【誤解5】「変化とは、“何か新しい能力や素晴らしいものを得る”ことだ」

多くの人が、変化に対してこう期待します。「変わることができたら、もっと仕事で成果が出るようになるはずだ」「変わることができたら、もっと人から愛され、認められるようになるはずだ」と。つまり、変化を「何かをプラスする」という足し算のイメージで捉えているのです。

変容とは、多くの場合、「加える」ことではなく、むしろ「手放す」ことであり、その結果「すでに内に持っていた本質に気づく」プロセスである

私がこれまで数多くの変容の瞬間に立ち会ってきて見てきたのは、むしろ逆のプロセスです。それは、新しい何かを獲得することよりも、これまで無意識に抱え込んできた「不要な思い込み、過剰な自己防衛、過去からの執着、演じてきた役割」といったものを、一つひとつ丁寧に“手放していく”こと。そして、その結果として、まるで曇りガラスが磨かれるように、自分自身の内側に元々備わっていたはずの「本質的な輝き」や「本当に大切にしたかった価値観」に、改めて気づいていく、というプロセスです。変化とは、何かを外から付け加えることではなく、むしろ、余計なものを「削ぎ落として、自分自身の核心へと還っていく」静かで、しかし力強い営みなのです。

【結びに】「変われない私」という古い物語を脱ぎ捨てた、その先に広がるもの

これらの、変容を妨げてきた「5つの誤解」という名の重たい鎧を、一つひとつ意識的に手放していくことができたとき。

変化は、私たちが想像する以上に、意外なほど静かに、そして誰に強制されるでもなく、あなた自身の内側から、確かに動き出します。それは、劇的な変身というよりも、むしろ、本来の自分自身へと還っていく、自然で、穏やかなプロセスでしょう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA