
【プロローグ】「もう、自分自身を信じることが、できなくなっていました」
「変わりたい。心の底から、今のこの息苦しさから抜け出したい。でも、どうせまた、いつもの自分に戻ってしまうのだろう…」
これは、私のセッションの初日に、クライアントのAさんが、絞り出すように語ってくれた言葉です。一人の人間が抱える切実な心の声として、その響きは今も私の胸に残っています。
Aさんは40代半ば。二人の子どもの母であり、仕事にも真摯に取り組んでいる。しかし、パートナーシップ、日々の仕事、そして自分自身の生き方そのものに対して、常にどこか拭いきれない「不全感」や「満たされなさ」を抱え続けてきた、と言います。
様々な自己啓発の本を読み漁っても、その言葉は頭で理解できるだけで、心の奥底までは届かない。
感情を揺さぶられるようなワークショップに参加しても、その場では一時的に高揚したり、涙を流したりするものの、日常に戻れば、また同じ思考や感情のパターンを繰り返してしまう。
そして、そのたびに「ああ、やっぱり私は何も変わっていないんだ」と、静かな絶望を感じる——。
「もう、これが最後の挑戦のつもりで、この場に来ました」と、彼女は消え入りそうな声で、しかし真っ直ぐな目で私にそう語ってくれました。
【1ヶ月目】「私の言葉ではなかった…」——“他人の声”で生きていた自分への、衝撃的な気づき
セッションに取り組んだ最初の1ヶ月。私たちが大切にしているのは、まず「評価や判断をせず、ただ自分自身の内側で起きていること(思考、感情、身体感覚)に、丁寧に気づいていく」というプロセスです。
Aさんは、対話や日々のモーニングノートでの感情ログ(自分の感情を記録するワーク)を通して、生まれて初めてと言っていいほど、自分自身の内側から聞こえてくる“もう一つの声”の存在に、はっきりと気づき始めました。
それは、
「こう振る舞っていれば、きっと周りの人から嫌われることはないだろうな」
「このくらいのことで自分の感情を出すのは未熟だ。我慢して、うまくやり過ごすべきだ」
「本当はこうしたいけれど、それを言ったら、きっと誰かを傷つけてしまうかもしれない」
といった、まるで自分自身にブレーキをかけ、行動を制限するような、内なる声でした。
そして、あるセッションで、彼女自身の深い体験について語り始めたとき、Aさんはハッとした表情で、こんな言葉を漏らしたのです。
「今、私が話していたこの言葉、この考え方…これは、私の本当の言葉ではなかったのかもしれない。ずっと昔から、誰か(それは親かもしれませんし、社会かもしれません)の期待に応えるために、無意識のうちに身につけてしまった、“他人の脚本”を、私は自分の人生で演じ続けていただけだったのかもしれない…」その衝撃的な気づき。それは、Aさんの長い変容の旅における、静かで、しかし決定的な「最初の入り口」だったように、私には思えました。
【2ヶ月目】「“安心”という名の、感情の“ごまかし”」に気づき、初めて感じた怒り
2ヶ月目のセッションでは、「私たちが本当に求めている“安心感”とは何か?」というテーマを探求しました。Aさんは、当初、「自分は常に安心していたい、波風の立たない穏やかな日々を過ごしたい」と語っていました。
しかし、対話を深めていく中で、彼女は自分自身でも気づいていなかった、ある重要な思い込みに直面します。
「私は、ずっと“安心したい”と言い続けてきました。でも、私が無意識に選んできたのは、本当の安心ではなく、“何も感じないようにすること”“何も起きないようにすること”だったのかもしれません。自分の本音や欲求に蓋をし、感情を押し殺し、まるで自分の“輪郭”そのものを消し去ることで、傷つくことから自分を守ってきた…それは、安心ではなく、ただの“ごまかし”だったんです」
その気づきが訪れた日を境に、Aさんのモーニングノートでの感情ログには、それまで見られなかったような、強い言葉が綴られるようになりました。それは、これまで無感動で、波風を立てずに生きてきた“過去の自分”に対する、深い怒りや悲しみの感情でした。
「私は、本当の意味で、自分の人生を生きていなかった。ただ、人生という舞台から、自ら降りていただけだったんだ」
【3ヶ月目】「本当の勇気とは、完璧な自己表現ではなく、“等身大の今の自分”を差し出すことだった」
そして、Aさんの変容の旅における一つのクライマックスは、3ヶ月目のセッションの中で、静かに、しかし確かに訪れました。
彼女は、長年にわたり、パートナーに対して「自分の本音を伝えることができない」という課題を抱えていました。「これを言ったら、相手はどう思うだろうか」「関係が悪くなるくらいなら、自分が我慢すればいい」——そんな思考が、いつも彼女の言葉を飲み込ませてきたのです。
しかし、その夜の彼女は、以前とは明らかに違っていました。震える声で、しかし、はっきりとした口調で、彼女はこう語り始めたのです。
「昨日、夫と話しているときに、勇気を出して、初めて自分の本当の気持ちを伝えてみたんです。『私、あなたが思っている以上に、本当はずっと寂しかったんだ』って」
それは、決して声を張り上げたわけでもなければ、論理的で完璧な自己表現でもありませんでした。しかし、それは、3ヶ月前には考えられなかったほどの、彼女の等身大の訴えでした。
そして、その正直な言葉に対して、パートナーから返ってきたのは、彼女が全く予想もしていなかった、温かく、そして優しい言葉だったと言います。
「そんな風に感じていたなんて、今まで全然気づいてあげられなくて、本当にごめん。話してくれて、ありがとう」と。
【エピローグ】変わったのは「外側の出来事」ではなく、「自分自身との関係性」という、最も本質的な部分
Aさんは今も、以前と同じように、二児の母として、そして一人の働く女性として、忙しい日常に戻っています。見える景色や、日々のタスクが劇的に変わったわけではないかもしれません。
しかし、彼女が今もつけ続けているモーニングノートの「感情ログ」には、以前とは比べ物にならないほどの、確実で、そして深い変化が記されています。
- 自分の内側に湧き上がる欲求や願いを、良い悪いで判断せず、まずはそのまま書き出すようになった。
- これまで見過ごしてきた、自分自身の本当に小さな感情の揺らぎ(喜び、悲しみ、怒り、安らぎ)に、敏感に気づけるようになった。
- 何か新しい行動を起こす前に、あるいは誰かに何かを伝える前に、まず“「今の私は、本当はどうしたいのだろう?」と、自分自身に優しく聞く”という習慣が、自然と身についてきた。
私は、このAさんの物語を通して、改めてこう確信しています。
「真の変容とは、人生における“出来事”や“環境”が劇的に変わることだけを指すのではない。むしろ、最も本質的な変化とは、“自分自身との関係性が、より深く、より誠実で、より信頼に足るものへと変わっていくこと”そのものなのだ」
【最後に】あなたの“物語の主語”は、今、誰の声で語られていますか?
Aさんがこの3ヶ月で手にした最も大きな変化は、特定の「環境」が変わったことでもなければ、新しい「肩書き」や「スキル」を身につけたことでもありませんでした。
それは、ただひとつ——「誰かの期待や、過去の脚本に応えるのではなく、自分自身の内なる声に耳を澄ませ、それを信頼する」という、ささやかで、しかし何よりも尊い「勇気」を持てるようになったことだったのです。
次に、このような変容の物語を、あなた自身の言葉で語るのは、もしかしたら、この記事を読んでくださっている「あなた」なのかもしれません。
そして、その物語の始まりは、私たちが思っている以上に、日常の中の、本当に小さな、しかし誠実な一歩から、静かに始まっていくのです。