なぜ、私たちはすれ違うのか? 〜探究講座で見えた「無意識のゲーム」と人生の脚本〜

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

はじめに:「良かれと思ったのに…」その違和感の正体を探る

「なんで、あの人には私の真意が伝わらないのだろう?」 「こんなに相手を想って行動しているのに、なぜか報われない…」

日々の人間関係の中で、そんな「すれ違い」による、もどかしさや切なさを感じた経験は、あなたにもあるでしょう。良かれと思ってしたことが裏目に出たり、相手を理解したいのに心が通わないように感じたり…。

先日の探究講座では、こうした日常に潜むコミュニケーションのズレや、繰り返される不パターンについて、交流分析の視点を借りながら「無意識の心理ゲーム」や「人生脚本」といったテーマで深く探究しました。

なぜ私たちは、望んでいないはずの結末を、無意識のうちに繰り返してしまうのでしょうか? 今回の記事では、講座での対話や共有された実例をもとに、あなた自身の「見えない脚本」に光を当て、より自由で建設的な関係性を築くためのヒントをお届けできればと思います。

日常に潜む、無意識の「心理ゲーム」とは?

まず、私たちが陥りがちな「心理ゲーム」の例をいくつか見てみましょう。これらは探究講座でも話題に上がった、よくあるパターンです。

  • 夫婦の会話: 忙しく疲れている妻に、夫が「何か手伝うよ」と声をかける。妻は気を遣ってか「大丈夫よ、ありがとう」と断る。しかし内心では(あるいは無意識に)夫への不満を溜め込み、PTAの役員など断れない頼まれごとも抱え込んでキャパオーバーになり、やがて「こんなに無理して頑張ってるのに、誰も私の本当の大変さなんて分かってくれない」と体調を崩してしまう…。(一見、夫を気遣う妻だが、無意識に「私は可哀想な犠牲者」という立場を取り、夫に罪悪感を抱かせるゲームになっている!)
  • 職場でのやりとり: 若手が意欲的に企画書を提出する。しかし先輩は、その内容の本質的な議論ではなく、些細な誤字やフォーマットのずれといった「欠点」ばかりを執拗に指摘する。建設的なフィードバックではなく、粗探しにエネルギーが注がれてしまう…。(先輩は「完璧な指導者」を演じているつもりでも、自身の劣等感や不安感を隠し、相手を「ダメな部下(犠牲者)」にして粗探しをすることで、無意識に自身の優位性を確認するゲームをしている!)
  • 親子の葛藤: 一人暮らしを始めた子どもに対し、親が必要以上に「何か困っていることはない?」「手伝おうか?」と手を差し伸べようとする。「あなたのためを思って」という言葉に、子どもは「期待に応えなければ」というプレッシャーや、『自分の力でちゃんと生活できるようになりたい』という自立心 を阻まれているような息苦しさを感じ、罪悪感を抱いてしまう…。一方、親は内心で『やっぱりまだ私がいなきゃダメなのね』 と自身の必要性を確認しているのかもしれません。(親は「心配する救助者」のようでいて、無意識に子どもを「未熟な存在(犠牲者)」に留め、自身の必要性を確認するゲームになっている!)

これらは一見、個別の状況におけるコミュニケーションの問題に見えるかもしれません。しかし、交流分析の視点で見ると、そこにはしばしば共通した“裏面のメッセージ”と、予測可能な“不快な結末”を伴う、定型的な「心理ゲーム」の構造が隠れているのです。私たちは自分でも気づかないうちに、「相手にこう思わせたい(無意識の欲求)」「最終的には、いつものこの嫌な気分を味わいたい(ラケット感情の収集)」といった、見えない脚本に従って行動してしまっている可能性があります。

なぜ繰り返す?:「ラケット感情」と「人生脚本」のメカニズム

では、なぜ私たちは、本来望んでいないはずの不快な感情(例えば、罪悪感、無力感、怒り、孤独感など)や、堂々巡りの関係性を、無意識のうちに繰り返し生み出してしまうのでしょうか? その背景には、交流分析が指摘する、主に次の2つの心理的なメカニズムが深く関わっています。

  • ラケット感情(代用感情): 幼少期に、ありのままの自然な感情(例えば、寂しさ、不安、無力感、怖れなど)を感じたり表現したりすることが「安全ではない」「受け入れられない」と学習した結果、その“本物の感情”を感じる代わりに、別の“代用として使い慣れた感情”(例えば、拗ねる、怒る、憐れみを誘う、悲劇の主人公を演じるなど)でそれを覆い隠し、周囲の反応を引き出そうとする心の働きです。このラケット感情は、一時的な安心や注目を得られても、本質的な問題解決や心の充足には繋がりません。
  • 人生脚本(無意識の人生計画): 主に幼少期の経験や、親からのメッセージなどに基づいて、私たちが無意識のうちに作り上げてしまった「自分とはこういう人間だ」「私の人生とは、結局こういうものになるのだ」「周りの世界や他者は、こういうものである」といった、人生の基本的な設計図(ストーリー)のことです。この脚本は、私たちの思考、感情、行動の選択に、知らず知らずのうちに大きな影響を与えています。

例えば、「人は基本的に信用できない」「頑張らなければ自分には価値がない」「自分はいつも最終的には一人になる」といった人生脚本を持っている人は、無意識のうちにその脚本通りの現実(裏切り、過剰な努力と燃え尽き、孤立など)を引き寄せるような心理ゲームを演じ続けてしまう傾向があるのです。例えば、講座の参加者からは、「自分は常に負けている人間だ」という脚本から、無意識に「相手の方がすごい」と言わせるような状況を作り出し、結果的に「やっぱり自分はダメなんだ」という不快な感情(ラケット感情)を味わうパターンを繰り返していた、という体験談も共有されました。

「自分のパターン」に気づき始めた、参加者たちの声

探究講座という安全な場の中では、参加者の皆さんが勇気をもって、ご自身の経験やパターンについて語り合い、深い気づきを得ていくプロセスが数多く見られました。

  • 「『どうせ自分なんて期待されていないんだ』という無力感を確認したくて、無意識に締め切りを守らなかったり、言い訳をしたりするゲーム(キックミーゲーム)をしていた自分に気づきました…」
  • 「子どもの頃、親から言われ続けた『あなたは何をやっても中途半端ね』というメッセージが、呪いのように自分の中に残り、新しい挑戦を前にすると必ず『どうせ失敗する』という思考が湧き上がってくる構造が、初めてはっきりと理解できました」
  • 「いつも人の世話を焼いてしまうのは、『役に立たない自分には価値がない』という思い込み(人生脚本)があったからかもしれない、とハッとしました」
  • 「普段の何気ない会話にも、実は様々な『心理ゲーム』が潜んでいて、それに気づくだけで相手への見方が変わり、少し冷静になれそうです」

大切なのは、誰か特定の他者を責めるためでも、変えられない過去をただ悔やむためでもなく。「“いま、ここ”から、自分の人生をより良く変えていくために」——その視点から、自分自身の無意識の脚本やゲームのパターンに光を当て、それに気づき、そして意識的にそれを書き換えていくこと。 講座では、そんな力強く、希望に満ちた一歩を、皆さんがそれぞれに踏み出し始めている様子がうかがえました。

あなた自身の「無意識のゲーム」に光を当てる旅へ

この記事をここまで読み進めてくださったあなたも、もしかしたら、ご自身の日常や人間関係を振り返り、何か心に響くもの、あるいは「自分にも、思い当たる節があるかもしれない」と感じるものがあったのではないでしょうか。

「なぜか、いつも同じようなパターンで人間関係がこじれてしまう…」 「もっと自由に、もっと素直に、自分らしく生きたいのに、何かがそれを阻んでいる気がする…」

もし、そう感じているのなら。それは、あなた自身の内側にある「見えない脚本」や「無意識のゲーム」に気づき、そこから自由になるための、「本当の自分自身に出会う旅」を始める絶好の機会なのかもしれません。

小さな「気づき」が、あなたの思考や感情、そして行動を変え、その先に広がる未来を、より豊かで、あなたらしいものへと大きく変えていく。その可能性を、私は信じています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA