「なぜ生きるのか?」:答えではなく問い続ける力が人生を深める

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■ はじめに:静かな夜に訪れる、根源的な問い

人生という「旅」を続け、変化した自分として「日常」を生き直そうと試みる中で、ふと、歩みを止めてしまう瞬間があります。

特に、一日が終わり、辺りが静寂に包まれる夜。思考の隙間に、まるで待ち構えていたかのように、こんな根源的な問いが顔を出すことがあるのです。

毎日、私たちは無数の小さな選択を積み重ねています。自身の感情の波と向き合い、他者と関わり、仕事や役割を進めている。やるべきことも、やりたいこともあるはず。それなのに、なぜか時折——まるで世界から色が失われたかのように、何もかもが意味のないものに感じられてしまう瞬間がある。あなたにも、そんな経験はないでしょうか。

■ 「生きる意味」は、自分の外側には見つからない

私たちは、不安や虚しさを感じたとき、しばしばその「意味」や「答え」を自分の外側に求めようとしてしまうのかもしれません。

社会的な成功や名声。

経済的な豊かさ。

家族やパートナーとの深い絆。

誰かからの承認や賞賛。

あるいは、自己実現という名の達成感——。

これらは確かに、私たちの人生に彩りや喜び、そして一時的な充足感を与えてくれるでしょう。しかし、それらをすべて手に入れたとしても、心の奥底から完全に消えることのない問いがあるのではないでしょうか。

経験を通して私が感じるのは、「生きる意味」とは、誰かや何かが外から与えてくれるものでは決してない、ということです。それは、世界のどこかに隠されている完成された「答え」を探し出すような作業ではありません。むしろ、自分自身が問い続け、迷い、選択し、そして生きていく、そのプロセスそのものを通して、じわりじわりと、自分だけの意味合いとして内側から編み上げていくものなのではないでしょうか。

■ 「問うこと」自体が、私たちに生きる力を与える

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「無知の知」を説きました。彼が言いたかったのは、「私は何も知らないということを知っている」という自覚こそが、真の知恵への探求の始まりである、ということだったのでしょう。

彼は、人々に絶対的な「正解」を教え諭そうとしたわけではありませんでした。ただ、対話を通して、「美とは何か」「勇気とは何か」「善く生きるとは何か」といった、人間存在の根源に関わる問いを、粘り強く、共に考え続けることを促したのです。

私たちもまた、同じなのかもしれません。

「なぜ生きるのか?」

「私は、本当はどう生きたいのか?」

「この仕事を通して、何を成したいのか?」

これらの問いは、必ずしも明確な「答え」を一つ導き出すためだけに存在するのではない。むしろ、その答えのない問いを持ち続け、探求し続けること自体が、私たちの意識を深め、惰性で流されがちな日常に立ち止まるきっかけを与え、そして人生そのものに、かけがえのない厚みと彩りをもたらしてくれるのではないでしょうか。

■ 私自身がいま、抱えている問いの数々

偉そうなことを語っていますが、正直なところ、今の私自身も、「なぜ生きるのか?」という問いに対する完全な答えなど、到底持ち合わせていません。

むしろ、日々、様々な問いと共に生きています。

  • 私が主宰するTHE濃縮塾を、これからどう進化させ、何を探究していくのか? その本当の意味は?
  • 限りある時間の中で、娘との関係性を、私はどのように築き、何を大切に積み重ねていきたいのか?
  • そして、私自身は、残された人生で、あとどれだけ「本気で」生きることにコミットできるのだろうか?

こうした具体的な問い、あるいはもっと漠然とした問いが、常に胸の奥で静かに脈打っています。

そして、最近気づいたのです。

問いがあるからこそ、私たちは迷う。

迷うからこそ、立ち止まり、考え、そして新たな一歩を踏み出す。

そうして歩き続けるからこそ、見える世界が少しずつ変わり、広がっていくのだ、と。

問いがない状態とは、もしかしたら、思考が停止し、成長が止まってしまった状態なのかもしれません。

■ 問いを抱きしめながら、生きていくということ

もしかすると、「生きる意味」とは、何か壮大な目標を達成したり、特別な境地に達したりすることの中に見出されるのではなく、「私はいかに生きるべきか?」と、自分自身に問いかける、その営みそのものに、すでに静かに宿っているのかもしれません。

今日という一日も、そしてこれから訪れるであろう明日という日も。

完全な答えや、絶対的な確信を性急に求めるのではなく、ただ、心の中に生まれた問いを大切に抱えながら、一歩ずつ進んでいく。迷いながらも、探求し続ける。

それこそが、私たちが人生という名の「旅」を、自分自身の足で歩み続けるということの本質なのではないでしょうか。

「なぜ生きるのだろう?」

あなたがそう静かに自問した、その一瞬にこそ、もうすでに、かけがえのない“生きる意味”の輝きは、宿り始めているのですから。

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