
■ はじめに:「変わった私」と「変わらない世界」の間で
内なる探究の「旅」がひと段落つくと、しばしば不思議な感覚に包まれることがあります。
「確かに、何かが変わった気がする」
「けれど、目の前の世界は、昨日までと何も変わっていないように見える」
そんなふうに、変化したはずの自分と、以前と同じように流れていく日常との間に、少しだけ取り残されたような、あるいは静かなズレを感じるような感覚。
朝、いつものようにコーヒーを淹れ、娘を保育園へと送っていき、オンラインで打ち合わせをし、資料をまとめ、夜が来る。目に映る景色そのものは、特別な旅に出る前と、ほとんど何も変わらないように見えるのです。
でも、確かな実感として、私の内側は、以前とは確かに違っている。このギャップを、私たちはどう捉え、どう生きていけば良いのでしょうか。
■ 新しい日常とは、「変化した自分」で世界と関わり直すこと
「英雄の旅」の物語構造における最後の、そして最も重要な段階。それは、旅を通して得た気づきや変化、いわば「宝物」を自分の内だけに留めず、再び戻ってきた日常の世界に持ち帰り、活かしていくフェーズ(帰還と還元)です。
旅に出る前と比べて、住む場所や仕事内容、人間関係といった外的な環境が劇的に変わることは少ないかもしれません。しかし、私たちの内面は、旅を通して確実に変化しています。
- 世界を見る視点が、以前とは異なっている。
- 自身の感情との向き合い方が、より成熟している。
- 日々の出来事に対する選択の仕方が、静かに、しかし確実に変わっていく。
つまり、「新しい日常」とは、全く新しい世界に生きることではなく、「変化した自分自身」として、以前と同じように見えるこの世界と、新しい形で関わり直していくプロセスそのものなのだと、私は考えています。その変化は、外側から見える大きな変化ではなく、内側で起こる静かで深い変容なのです。
■ 「変化した自分」が選ぶ、日々のささやかな実践
では、その「新しい関わり方」とは、具体的にどのような形で現れるのでしょうか。それは、日常の中の、とてもささやかな実践の中にこそ見出せるように思います。
たとえば、、、
朝、娘が「保育園に行きたくない」とぐずり、私の足にしがみついてきたとき。
以前の私であれば、「早く準備しなさい」「どうしていつもこうなんだ…」と、焦りや苛立ちを内心で募らせ、それを態度に出してしまっていたかもしれません。無意識のうちに、自分の都合や「べき論」で状況をコントロールしようとしていたのです。
でも、様々な内なる旅を経て変化した今の私は、少し違います。
「ああ、いま、娘は何か強い気持ちを訴えたいのだな」
「この一瞬は、彼女の心の内側に、ただ寄り添うチャンスなのかもしれない」
そう捉え直し、感情的に反応する前に、ひと呼吸置くことができるようになりました。
それは本当に、「たったそれだけ」のことかもしれません。しかし、その内面の「たったそれだけ」の変化が、結果として、その場の空気や、娘との関係性、そして私自身の心の状態を、大きく変えていく力を持っているのです。
仕事の場面でも同様です。
相手の言葉に、ふと違和感を覚えたとき。以前なら、すぐに心の中で相手を批判したり、無意識に距離を置いたりしていたかもしれません。
しかし今は、「この違和感の奥には、もしかしたら新しい対話の種、あるいは互いの理解を深めるための大切なヒントが隠されているのかもしれない」と、好奇心を持って考えるようになりました。
あるいは、以前なら気にも留めずにスルーしていたかもしれない、誰かからの小さな親切やサポートに対して、できるだけ具体的に感謝の言葉を伝えるように心がける。これもまた、変化した自分が選ぶ、新しい日常の実践です。
■ 旅の目的は、日常を「生き直す」ためにあった
これらの経験を通して、私は改めて気づかされます。
人生における「旅」(それは内なる探求であったり、新しい挑戦であったりします)の本当の意味は、どこか遠くの特別な場所へ行って、全くの別人になって帰ってくることではないのだ、と。
むしろ、いま、ここにある、この「ふつうの毎日」を、以前よりももっと深く、豊かに、そして主体的に生きるためにこそ、私たちは旅をするのではないでしょうか。
旅の途中で自身の感情と向き合い、内なる葛藤(敵)と対話し、そこで得た気づきや学び、そして少しだけ変化した自分自身を、この「ありふれた日常」という名のキャンバスに、丁寧に染み込ませていく。
その地道な統合のプロセスが、確かにできていると感じられるなら、あの苦しかった試練も、迷いながら歩んだ道のりも、すべては確かに意味を持っていたのだと、心から肯定できるのです。
今日もまた、昨日とは少し違う「変化した自分」として、この「ふつうの一日」を、意識的に、そして味わい深く、生き直してみよう。そう静かに決意するところから、私の新しい一日は始まります。