
■ はじめに:「わかっているのにできない私」という、長年の苦しみ
- 「そろそろ、これを始めなければいけない」と頭では理解している。
- 「もう、この考え方からは切り替えたい」と心から願っている。
- 「いい加減、この習慣はやめたい」と何度も決意している。
それなのに、なぜか体が動かない。行動が伴わない。
そんな自分に対して、「また言い訳をしている」と嫌気がさしたり、人から「考えすぎだよ」と諭されたり、自分でも「もしかしたら、ただ甘えているだけなのかもしれない」と自己嫌悪に陥ったり…。
私自身も、長年にわたり、そんな「わかっているのに、できない」自分を何度も責め、その矛盾に苦しんできました。
しかし、様々な探究と思索を重ねる中で、その捉え方が変わってきたように思います。「わかっているのにできない」という状態は、決してあなたが壊れているからではなく、人間として“ごく自然な反応”の一部なのかもしれない、と。
■ なぜ行動が止まるのか? 心理学から読み解く“できなさ”のメカニズム
心理学の世界では、私たちが「わかっているのにできない」とき、それは単なる「怠惰」や「意志の弱さ」といった問題ではなく、多くの場合、“私たちの心や脳が、何らかの危険や脅威を感じ取っている”サインである“、と考えられています。
例えば、いくつかのメカニズムが指摘されています。
- 感情の未処理: 過去の経験に基づくネガティブな感情(怖れ、不安、罪悪感など)が十分に処理されていないと、行動を司る脳(特に前頭前野)の働きが抑制され、一歩を踏み出せなくなることがあります。
- 安全への希求: 私たちの脳や身体は、本能的に急激な“変化”よりも現状の“維持”を好みます(ホメオスタシス)。新しい行動が、たとえ頭では良いことだとわかっていても、潜在意識レベルで「安全ではない」と感じられると、無意識のうちにブレーキがかかってしまうのです。
- 理性と情動の分断: 「こうすべきだ」という理性的な判断と、「そうしたくない」「怖い」といった感情的な反応が、心の中で一致していない状態。このギャップが大きいほど、行動は起こりにくくなります。
つまり、“できない”という状態は、あなたの人間性や能力の問題というよりも、むしろ、変化に対する心と脳の“極めて正常な防御反応”の現れである可能性が高いのです。
■ 哲学の視点:「自己とは、常に揺らぎの中にある存在」
さらに視点を広げて、哲学の世界に目を向けてみましょう。ドイツの哲学者ハイデガーは、人間を「世界の中に投げ込まれ、常に問いを持つ存在(現存在)」として捉えました。
私たちは、「どう生きるべきか」「なぜ自分はこう感じるのか」といった問いを、意識的・無意識的に絶えず自身に投げかけ続ける生き物です。そして、その問いと向き合うプロセスそのものを通して、自己を形成し、理解し、時に変化させ続けていく——それこそが、“人間であること”の本質なのかもしれません。
この視点に立てば、心の中に生まれる矛盾や葛藤は、“未熟さ”や“欠陥”の証などではなく、むしろ私たちが「より良く生きたい」と願い、成長し変化していくために不可欠な“健全な揺らぎ”である、と捉え直すことができるのではないでしょうか。
■ 私自身も、“矛盾と共に”日々を生きています
偉そうなことを語っていますが、もちろん私自身、聖人君子などではありません。言葉や思考を通じて「伝える」ことを生業としながらも——
- 「書きたい」という強い衝動があるのに、どうしても筆が進まない日があります。
- 「これを届けたい」という熱い想いがあるのに、いざとなると発信するのが怖くなってしまう瞬間があります。
- 頭では「こうすれば良い」と明晰に分かっていても、なぜか心が動かず、立ち止まってしまう自分に出会うことが、今でも日常的にあります。
かつてはそんな自分を激しく責めましたが、今は違います。そんな矛盾を抱えた自分を否定せず、「ああ、今日の自分は、ここまでのようだ」と、静かに認め、受け入れる。その受容があるからこそ、不思議と心が軽くなり、また明日、新たな一歩を踏み出せる自分に出会えると確信しているのです。
■ おわりに:矛盾こそが、私たちの“問いを続ける力”の源泉
「わかっているのに、できない」
「やめたいのに、やめられない」
「変わりたいのに、変われない」
もしあなたが今、そんな“自己矛盾”の中にいるとしても、それは決して、あなたが人間として劣っていたり、どこか壊れていたりする証拠ではありません。
むしろ、それは——
「私は、私自身の生き方や在り方について、まだ真剣に問い続けているのだ」
という、尊い探究の証かもしれません。
だからこそ、今日たとえ動けなかったとしても、それであなたの価値が損なわれることは決してありません。その矛盾や葛藤すら、あなた自身の一部として抱きしめたまま、それでもなお一歩ずつ進んでいく力が、私たち人間には本来、備わっているのだと信じています。
今日のあなたが、どのような状態にあったとしても。
まずは、「私は、この矛盾を抱えた私を連れて、それでも生きていく」と、静かに自分自身に宣言してみてはいかがでしょうか。
その受容こそが、変化への本当の入り口になるに違いありません。