
■ はじめに:「伝えたはずなのに、届いていない」という違和感
ビジネスや情報発信の現場で、私は何度もこのような感覚を覚えてきました。
「本気で、心を込めて伝えようとしているのに、なぜか相手の心に響かない…」
「たしかに手応えはあるように感じるのに、なぜか深いところで共鳴していない気がする…」
言葉に熱量を込め、誠実に語りかけた日ほど、その“すれ違い”にも似た感覚が、胸の中に静かに残ることがあります。
想いが足りないわけではない。むしろ、届けたい“想い”は確かに存在するのです。しかし、その想いが「言葉」という形をとって外に出たとき、なぜか微妙なズレが生じ、意図した通りには伝わらない。
この「伝わらない壁」とは、一体何なのでしょうか。もしかすると、これは私たちが他者と真に“共鳴するフィールド”にたどり着く前に、必ず経験する重要なプロセスなのかもしれない——私はそのように感じています。
■ 「伝える」とは情報伝達にあらず。“関係性”の中で立ち上がるもの
多くの場合、私たちは「どう伝えれば効果的か?」という問いに答えを求めがちです。
言葉の選び方、レトリック
コピーライティングの構造、構成
キャッチーなフレーズ、力強い表現
もちろん、こうしたテクニックが役立つ場面は多々あります。しかし、本当に相手の心の奥深くに届く言葉というのは、“情報”として単体で存在するのではなく、“関係性”という土壌の上で、はじめて立ち上がってくるものだと、私は考えています。
「この人なら、私の状況を理解してくれそうだ」
「この人の言葉なら、少し耳を傾けてみよう」
——そういった、言葉を発する以前の“前提となる信頼”が存在するかどうかで、同じ言葉であっても、その響き方、受け止められ方は全く異なってくるのです。
これはつまり、「何を言うか(What)」もさることながら、それ以上に「誰として(Who)、どのような関係性の中で言うか」が、本質的に問われているのではないでしょうか。
■ 共鳴を育むために不可欠な、“言葉の外側”の設計
私の経験から実感しているのは、「共鳴」とは、偶然起きる奇跡というよりも、むしろ丁寧に“設計され、育まれるもの”に近いということです。
その設計には、少なくとも以下の3つのレイヤーがあるように思います。
背景の共有(Why)
──なぜ、あなたはそれを伝えたいと強く願うのか? その個人的な文脈や想いが、相手に伝わっているだろうか?
立場の明示(From Where)
──あなたは、どのような視点から、何を感じ、それをどのように解釈しているのか? その立ち位置が、誠実に開示されているだろうか?
相手への想像力(For Whom)
──具体的に「誰に」届けようとしているのか? その相手の状況や感情への想像力が、言葉に反映されているだろうか?
言い換えれば、言葉そのものを磨くだけでなく、“言葉の外側”にあるこれらの要素が丁寧に設計され、共有されているほど、言葉が持つ本来の力が十全に発揮され、深い共鳴へと繋がっていくのだと思います。
■ 私自身の経験:“伝わらなかった苦しさ”と“届いた瞬間”
かつて私自身、あるサービスの紹介文を論理的に、詳細に作り込んだにも関わらず、期待したような反応が得られず、苦しんだ経験があります。
今振り返れば、その原因は極めてシンプルでした。
当時の私は、「自分がそのサービスに対して何を感じていて、なぜこれを届けたいと切に願っているのか?」という、極めて個人的な“私の感情”や“想いの源泉”を、言葉にすることを避けていたのです。
客観的な事実を並べ、スペックを詳細に語ったとしても、それだけでは人の心は動きません。むしろ、心を閉ざさせてしまうことさえあるでしょう。
逆に、ある時、勇気を出してこう語ってみました。「私がこのサービスをこれほど伝えたかった理由は、他ならぬ私自身が過去、同じような壁にぶつかり、苦しんだ経験があるからです」と。
その瞬間、相手の表情が和らぎ、場の空気が変わり、深い対話が自然と生まれ、結果的に申し込みへと繋がっていきました。
その差は、決して巧みなセールストークではありませんでした。ただ、感情を伴った“一人の人間としての、ありのままの言葉”だったのだと、私は確信しています。
■ おわりに:共鳴は、言葉を発する前から始まっている
「伝えたつもり」が、意図せず空回りしてしまう。これは、誰にでも起こりうることです。
しかし、それは単なる失敗ではありません。むしろ、「どうすれば、より深く共鳴を育てていけるのだろうか?」という、次なる“問い”を持つことができた。それ自体が、停滞ではなく、次への確かな前進なのです。
マーケティングの世界でよく語られる“差別化”という概念よりも、私は今、“共鳴設計”という言葉とそのプロセスを、より大切にしたいと考えています。
何を言うか?
なぜ、それを言いたいのか?
誰に、どのような背景と関係性の中で、それを伝えようとしているのか?
これらが、自分の中で、そして相手との間で、深く一致したとき、言葉はテクニックを超え、“本当に届く” のだと思います。
そしてそれは、前回の記事でお話したように、「自己探究」という内なる旅と、「他者との対話」という外への接点が、美しく交差する瞬間でもあるのです。
今日もまた、その尊い一点を探し求める旅を、私は続けていきたいと思います。