動けないのは弱さじゃない?“考えすぎ”に隠された本当の意味

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こんにちは、TOSHIです。

「やるべきことは、分かっている」

「進むべき方向も、なんとなく見えている」

なのに、、、
なぜか、心が重くて、
最初の一歩が、踏み出せない、、、

そんな日、
あるいは、そんな夜が、
あなたにも、ありませんか?

かつての私は、
そんな時、
「自分は意志が弱いんだ」
「また逃げているだけだ」と、
自分自身を、
厳しく責めてしまうことが、
よくありました。

でも、今は、
少しだけ、
違う見方をしています。

★ 考えすぎて動けないのは、“魂の安全確認”かもしれない

頭の中で、
思考がグルグルと回り続けて、
体が動かなくなる時、、、

それは、
単なる「怠け」や「弱さ」
なのではなくて、

あなたの内なる深い部分、
あるいは「魂」が、

「本当に、この道でいいのだろうか?」
「心から納得して、進めるだろうか?」と、

失敗することへの恐れ。

誰かを傷つけたり、誤解されたりすることへの不安。

これが、本当に自分の望むことなのか、という本質的な問い。

とても、
真面目で、
慎重で、
誠実なあなたが、

魂レベルで「YES」と言える、
納得できる一歩を、
必死に探している、、、

そんな、
尊いプロセスの、
現れなのかもしれません。

★ 私がやっている、“思考の迷路”からの小さな抜け出し方

そんな風に、
思考がループして、
動けなくなってしまった時には、

私は、
無理に「動こう」とすること、
無理に「決めよう」とすることを、
一旦、手放してみます。

そして、
代わりに、
こんなことを、
静かに試してみるのです。

・ノートを開いて、
「今、何に迷っているんだろう?」
「何が、私を立ち止まらせているんだろう?」と、
頭の中にあることを、
ただ、そのまま書き出してみる。

・あるいは、逆に、
「動けない理由」を、
思いつくままに10個、
書き出してみる。
(くだらないことでも、何でもOK)

・そして、
「ああ、そっか。今は決められないんだな」
「今日は、もう何も決めなくていいや」と、
自分自身に、
優しく許可を、
与えてあげる。

・もし、それでも、
何か少しだけ、
前に進む感覚が欲しい時は、、、
本当に、どうでもいい、
簡単なタスク(例えば、机の上を少し片付けるとか)を、
一つだけ、やってみる。

不思議なことに、
「動かなきゃ」というプレッシャーを手放し、
無理に行動しようとしない時ほど、

固まっていた思考が、
ふっと緩んで、
内側が静かに整理され、

次に進むべき道が、
自然と見えてくる、、、

そんなことが、
本当によくあるのです。

★ 「私の魂は、何に『YES』と言いたくて、今、立ち止まっているのだろう?」

もし今、
あなたが「動けない」と感じているなら、
自分を責める代わりに、
この問いを、
そっと、
心の中で、
自分自身に、
投げかけてみてください。

「私は、何を“確認”したくて、
今、こうして立ち止まっているんだろう?」

「私の魂は、
どんな『納得感』を、
求めているんだろう?」

この問いは、
動けない自分に対する、
深い「理解」と、

自分自身への「信頼」を、
取り戻すための、
大切な鍵になるはずです。

★ 動けない日も、あなたの一部。ちゃんと意味がある。

思考が止まらないのも、
体が動かないのも、

あなたが、
それだけ何かを、
深く、
大切にしようとしている証拠。

無理に動かなくても、
大丈夫です。

立ち止まる時間にも、
ちゃんと、
意味があるのですから。

追伸:

思考がグルグルしてしまう時、
私はよく、
ただ窓の外を眺めたり、
温かいお茶を一杯、
ゆっくりと味わったりします。

頭で解決しようとするのを、
一旦やめてみる。

そうすると、
ふとした瞬間に、
違う角度からの光が、
差し込んでくることがあるように感じます。

これも、私にとっては、
大切な内なる対話の時間です。

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