こんにちは、TOSHIです。
「努力が必要だ」
なんて、そんなことは誰でも
とっくに知っています。
もちろん、
「努力なしで稼げます」
みたいなメッセージに
心惹かれることもあるでしょう。
私も魅力的に感じます。
でも、そんなものはない、なんてこと
よくよく知っています。
さらには
「努力しないで良い」
なんてことになったら、
自堕落な、どうしようもなくダラけた
不健康な生活になるでしょう。
寿命が短くなるかもしれません。
毎日にハリがなくて、
つまらないかもしれません。
だから、
「努力しないで良い」
なんてことは、
あってもらっては困るのです。
それもよくよくわかっているはず。
じゃあ、、、
どこまで努力すれば良いのか??
一つの答えは
「絶望するまで」
です。
頑張って努力して、
反省して、改善して、自分と向き合って
自分を奮い立たせて
歯を食いしばって、苦悩して、、、
まだ絶望していないのであれば
努力する余地がある、ということです。
まだ頑張れる。
努力をし尽くして、
もうこれ以上、1ミリたりとも頑張れない
もうどうしようもない
自分には無理なんだ、できないんだ
ちっぽけな存在なんだ、ああ、、、
本当の意味で深く絶望したときに
救いが訪れるのです。
ひらめき、直感、天の声、導き、、、
怪しいスピリチュアルや宗教みたいに
聞こえるかもしれませんが、
これって共感してくれる人は多いはずです。
そんな体験、ありませんか?
もちろん、絶望するなんて
そんなのは怖いから
絶望するまで努力をすることは
まず無いでしょう。
どこか、余力を残しています。
でも、本当にやらなければいけないこと。
どうしても成し遂げないといけないこと。
なんとかしないといけないこと。
一生に何度あるかわかりませんが、
そんなときには本当に絶望するまで
努力するはずです。
するしかないのです。
そして、救われる、、、ことがある。
だとしたら、
このメカニズムを普段から利用できないか?
とことんまで努力してみて
行き詰まってどうしようもなくなったとき
散歩に出たり、風呂に浸かったりしていると
ひらめきが訪れる、、、
最初から、ひらめきを期待して
散歩したり風呂に入ったりしているだけでは
何も良い結果は生まれないでしょうけど。
努力をし切った先に
絶望するまではいかないにしても
煮詰まった頭をクールダウンして
一息ついたときに
「救い」が訪れるのです。
やはり、努力は大事なのです。
追伸
この話は、6月23日に開催した
探究講座で出てきた内容の
一部ダイジェストです。
扱ったテーマは
キェルケゴールの『死に至る病』
だったのですが。