「人生は自分が主人公のストーリーである」に欠けている視点

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こんにちは、TOSHIです。

「人生は自分が主人公の
ストーリー(物語)である」
ということが言われます。

私も同感です。

今月の探究講座で扱うテーマは
まさにその
「人生ストーリースパイラル」
を予定しています。

ただ、よく言われるところのものと
私が解釈しているものとの違いは
「ストーリーが無数にある」
ということです。

私たち一人ひとりは
それぞれが主人公のストーリーを
生きているわけですが、
そのストーリーは一つではない。

同時に複数の、それどころか無数の
ストーリーを生きているのです。

それはビジネスマンとしてのストーリーであり、
子どものいる親としてのストーリーであり、
誰かの友人としてのストーリーもある。

そして、
「ビジネスマンとしてのストーリー」
だけにフォーカスしたとしても、
そこには無数のストーリーが絡みあっている。

やる気に満ちた自分が主人公のもの
ふてくされて落ち込んだ自分が主人公のもの、
矛盾したようなストーリーがいくつも
同時並行で進んでいるのです。

どれも本当の真実で
どれもが嘘でも虚構でもない。
妄想でもない。

私たちが道を見失ったり、
どうしてもやる気が起きなかったり、
先が見通せなかったり
意味を感じられなかったり、、、

自分がわからなくなるときは
無数にあるストーリーがこんがらがって
どれがどれだかわからなくなっている状態
なのではないか、と思います。

だから、それを整理して
どのストーリーがどう進行しているのかを知り、

そして
「どのストーリーをどう進めていきたいのか?」

これが大きなポイントです。

「人生は自分が主人公の
ストーリー(物語)である」
と言った場合に、

「ストーリーは無数にあって
同時進行していること」の認識、
「どのストーリーを進めるのか?」の視点

これらが欠けているように
私には思えます。

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