アラ探しをやめて自分も他人も良いところを見る生き方

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こんにちは、TOSHIです。

月に1回の探究講座を
コミュニティでおこなっていますが、
今月のテーマは
「愛するということ」
にしました。

どんな展開になるかはやってみてのお楽しみ、
ですが、、、
私がこういう内容を講座で扱うことになるとは。

以前の私からすると信じられないことです。

さて、

私たちは得てして
アラ探しが得意なものです。

「他人の良いところを見つけましょう」
なんてことがわざわざ言われるのは
アラ探しは大得意なのに
良いところ探しは苦手だからなのでしょう。

もちろん、そんなことを言われても
良いところ探しなんて、なかなかできない。

目立つものは悪いところ、欠点ばかり。

アドバイスやフィードバックと称して
ここぞとばかりに得意なアラ探しを披露する
そんな光景もよく目にします。

他人に対するアラ探し以前に
自分に対するアラ探しはもっと得意です。
最高に得意かもしれません。

自分のアラ探しをして
自分自身の悪いところや欠点が
あまりにも目立つから、

他人のアラ探しをして安心しようとする
そんなところも、
おおいにあるのではないでしょうか。
そうしないと、自分がいたたまれないから。

少なくとも、私はそうでしたね。

自分のアラ探しをして
それをつぶしていくことが
成長であり学びだと思っていました。

つぶすよりも、アラを見つけるペースのほうが
圧倒的に速いので
まったく気分は楽になりませんが。

他人のアラ探しをしては
「この部分は自分よりもできていない」
とマウントを取って安心したものです。

……つらいです。

発見され、増え続けるだけの自分の欠点。
だから、必死で他人のアラ探し。

いつからそんなことをやっていたのか。

気づくと、それが当たり前で
それが人生なんだと思っていました。

この救いのない、底なし沼に気づいたとき
「やめたい」と思いました。

そんなのは私が本来望んでいた生き方ではない。

マッチポンプのように
自分のアラ探しを延々とし続け
他人のアラ探しをして自分を慰め……

不幸でしかない。

そこに気づくと、変えていけます。

アラ探しをしている自分に気づいたら
それをやめて、良いところ探しをします。

自分も捨てたもんじゃないな、、、
というか、なかなかやるじゃないか。
立派だ。誇りに思う。

だからこそ、もっともっと精進したい。

欠点を必死に埋めようとする生き方よりも
ずっと豊かなように感じます。

探究をしていると
こういうことによく出会えます。

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