自由の先には不幸が待っている【エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』より】

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こんにちは、TOSHIです。

私たちは自由になると
その自由にたえられなくなる
ということを知っていますか?

え? 不自由にたえられないのではなくて??

そうです、
「自由」にたえられないのです。

私も「会社から自由になりたい」と
強く思っていた一人です。

その結果、起業して
自分でビジネスをするようになって
会社という組織から自由になりました。

……それでハッピー!ばんざーい!
なのか、というと
そんなことはありません。

もちろん、稼いで食っていけるようになるまで
ものすごく苦労しました。
今思い出しても、「よくできたな」と思うくらい
それはそれは大変でした。

そんなに苦労に苦労を重ねて
やっとのことで手に入れた自由。

それなのに、、、

いざ自由になって
「何をやっても良い」
というくらいの状況になると

「何をやっていいのかわからない」
状況になりました。

そして、気力が湧かない。
行動できない。

だから、「こうしなさい」と指示してくれる
むしろ命令してくれる
セミナー講師やコンサルタントを
自分から求めました。

……あれ?
なんで、せっかくの自由を手放して
束縛されようとしているのか?

そんなループに苦しみました。

エーリッヒ・フロムという
ドイツの社会心理学者が
『自由からの逃走』という著作を
1941年に著しています。

宗教改革やフランス革命などで
自由を獲得してきたはずの人類が
ナチスドイツのヒトラーを生み
全体主義、独裁を経験したのは、なぜなのか?

人々は暴力で強制されたのでもなく
民主主義の中で自分たちで望んで
独裁という不自由を受け入れたのです。

私たちは自由になっても
その自由をもてあましてしまいます。

不自由が良いわけでは決してないけれども、
自由は自由で不幸の元なのです。

大事な人に「自由にして良いよ」と言われたら
どう感じるでしょうか?

「やった!自由だ」と思うよりも、
「見捨てられた……」と感じるでしょう。

自由になればなるほど苦しくなるし、
それだけ束縛を求めるようになる。

こんなことは、もう80年も前に
発表されていたのです。

こういうことを知らないで
単純に、自由を求めるとか
「自由になりましょう」と導くとか
危険なことです。

その先には不幸しかありません。

不自由は不自由で不幸だし、
自由は自由で不幸なのです。

だったら、どうすれば……???

そんな簡単な単純な話ではありません。

これを知ったうえで
自分はどうするのか?
何を選択するのか?

だからこそ、探究が必要です。

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