人生の「設定」というガチャ【何が良いのか悪いのか】

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こんにちは、TOSHIです。

THE濃縮塾のメンバーが
こんなことを言っていました。

「人生のいろいろは『設定』なのではないか?」

その通りだと思います。
流行りの言葉でいうと「ガチャ」でしょうか。

生まれてくる親は選べない、そこから始まって……

家庭環境、育った地域、子供の頃の人間関係、
学校で出会う人、先生、などなど

今に至るまでのすべてのことは
良いも悪いも「設定」なのです。

それを恨んだり誇ったりしたところで
何も始まりません。

ところで、話はちょっと逸れますが
「親は選べない」ということについて。

非科学的で確かめようのないことですが、
「実は親を選んで生まれてきている」
という話も聞いたことがあります。

私たちの魂(のようなもの)は、
生まれる前にどんな設定にするのか
「選んで」生まれてくるのだと言います。

私はなんとなく、「そうかもしれないな」と
この話を聞いたときに感じました。
確かめようのないことですが。

話を戻します。

設定に「良い悪い」はあるのでしょうか?

ゲームのガチャだったら
レアが出たら当たりに決まっています。
明らかに「良い」です。

では、親ガチャで
どんな親だったら「良い」のでしょうか。
逆に、どうだったら「悪い」のでしょうか。

ろくでなしな親で、誰がどう見てもクズだったら
それは「悪い」のかもしれません。

でも、その後に大成功を収めている人も
たくさんいます。
「あんな境遇だったからこそ、成功できた」
と言う人も多いのです。

反対に、裕福な家に生まれて
何不自由なく育って
どこから見ても幸せそうにしか見えないのに、

大きな悩みを抱えていたり
不幸を感じていたり、苦しんでいたり
そんな人もたくさんいます。

むしろ、誰ともそんな気持ちを共有できなくて
孤独の中で苦しんでいる人も多いでしょう。

「何を贅沢を言っているんだ。
お前よりも不幸な人はいくらでもいるのに
とんでもない」
と非難されるかもしれません。

「自分は幸福なはずなのに、
こんな悩みがあるなんておかしいんじゃないか?」
と悩みが悩みを生むかもしれません。

そんな悩みと苦しみの果てに
自ら命を絶つ人がいても
おかしいことではないでしょう。

悩みや苦しみに、比較は意味をなしません。

「良い」設定だろうと
「悪い」設定だろうと、
それぞれがそれぞれに悩みや苦しみを
抱えて生きているのでしょう。

「良い」とか「悪い」とか
表面的な価値判断を乗り越えた先に、
豊かな世界が広がっているように思います。

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