「自由は良いこと」なのか?無条件に良いとは言えないワケ

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こんにちは、TOSHIです。

このところ、「自由」について
発信したり話をすることが増えています。

先日もこんな記事を書きました。
自由で平等だから苦しむ孤独と不安と憂鬱と

いろいろな感想をいただいています。
反応も様々で、私もすごく勉強になります。

中でも多かったし、
私も強く感じていることは
「自由が『良い』わけではない」
ということ。

私たちは、何も考えないと
「自由は良いこと」
と無条件に思ってしまいます。

何も制限なく、好きなことを好きなように
意のままにできることが良いことで、
そのための制限を取り払っていくことが
人類の進歩である、と。

本当にそうでしょうか?

おそらく、ここまで読まれた方は
「そうじゃない」
ということを感じていると思います。

一例を挙げれば、人間関係。

人の悩みの99%は人間関係だと言われるように、
他人との関係は束縛を生みます。
他人が関係する以上、自由が制限されます。

じゃあ、たった独りで生きていくのが良いのか?

そんな極端なことを言わなくても、
現代人の私たちの悩みは
「選択肢が多すぎること」にも
かなりあるはずです。

選べないのです。

一つを選ぶというのは
他の多くの選択肢を「選ばない」ということです。

「あっちを選んでおけばよかった」
「この選択は間違えた」
と、後悔するかもしれません。
以前にした選択を後悔しているかもしれません。

でも、それは自己責任とされます。

だから、いちいちストレスを感じます。

自分で選ばなくて済むのなら、
どんなに気楽だろうか、と。

仕事が生まれでだいたい決まっていた時代なら、
結婚相手が家で決まっていた時代なら、

今多くの人が悩んでいるようなことは
無かったのかもしれません。

もちろん、別の悩みや不自由さは
あったに違いないですが。

一概に、「自由が良いこと」とは
言えないのではないでしょうか。

当然ですが、
「不自由が良い」というわけでもありません。

私は、自由は勝ち取るものだと思っています。
自分で勝ち取った自由だからこそ
それを謳歌できるのです。

与えられた自由は苦しいことが多い。

「自由にしろ」と言われたら
見放された気分になってしまいます。

「道を示してほしい」という気持ちは
「束縛してほしい」というのと
実は一緒なのでしょう。

新たな自由を自分で勝ち取るために、
今与えられている自由を手段として
存分に活用していくこと、
これが重要なのだと考えています。

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