こんにちは、TOSHIです。
私たちは「自由な世界」に
生きていると言われています。
不自由なことや差別など
まだまだ残っていることは事実ですし
それは大きな課題です。
ですが、私たち人類は
自由を拡大し、少しでも自由であるように
歴史を歩んでいるように思えます。
この流れは、これからも続くでしょう。
19世紀に生きたフランスの政治思想家トクヴィルは
『アメリカのデモクラシー』という本の中で
平等や自由、民主主義がもたらすのは
孤独と不安、憂鬱だと言っています。
フランス革命が1789年なので
それまでの貴族制社会から民主政治に移行して
間もない、まだまだ移行期の中で
そういうことを書いています。
そして、その先には専制や全体主義が
起こってくる危険性があるとさえ示唆しています。
実際、歴史はそうなりました。
もしも私たちも貴族制の社会に生まれていて
職業も人間関係もほとんど何もかも決まっていて
その中で生きるように強いられたら、
もちろん不自由なことは確かですが
今感じるような不安や迷いや孤独は
感じなくて済んだのかもしれません。
私たちは皆が平等で、自由で
自分で自分の人生を決められると思うから
そこに迷いが生じるのでしょう。
「あの人と自分とは同じはずなのに
なぜ結果が違うのか?」
と思うから、嫉妬もするし羨むこともするし
孤独なのかもしれません。
私がこの感覚を初めて知ったのは
大学に入学した直後のことでした。
それまでは受験勉強や親など
学校や家庭という束縛があったところから、
特に自由な国立大学に入って下宿したことで
解放されたのです。
なんとも言えない孤独と不安、
憂鬱に耐え切れずに
新興宗教に誘われるままに
入信することになりました。
あんなにも自由を欲して
一生懸命に努力して勝ち取ったのに、
それがつらかったのです。
それはそのときに限らず、
大人になってからも、
社会の至るところで見られることです。
「起業して自由になる!」と言いながら
メンターみたいな人の言いなりになって
奴隷のようなポジションに進んでなる人が
後を絶たないのも
同じ原理なのかもしれません。
自由であるが故に苦しい。
だからと言って、
不自由な環境に身を置いたところで
また自由を求めるのは必然です。
その無限ループ。
だからこそ、私たちは
自分自身を知る必要があります。
そのための探究です。