自由を求めていたのに自分から自由を放棄して奴隷になる人々

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、TOSHIです。

私は京都大学に現役で入ったのは良いけれど
入学後すぐに新興宗教に入信しました。

なんでそんなことをしたのか?

それまでは「大学に入って自由になる」というのが
私にとっての一番の価値でした。

地元を離れたい、親元から離れたい
もっと大きな世界に出て
縛られることなく自由に動き回りたい……

だから、東京に住んでいたにも関わらず
京都の大学を受験しました。
高校の担任には「なぜ?」と
よく聞かれたのを覚えています。

「自由になりたい!」

そして、京都大学に入学して
自由になったのです。

下宿で独り暮らしをして
まったく新しい環境で生活を始めました。

が、新興宗教に入ったのは
本当にすぐのことでした。

そういえば、、、と思い出すのは
こんどは大学を卒業したときのことです。

正確には、大学院の修士課程を修了したときのこと。
社会人になりました。

同級生の皆は、大手企業とか官庁とか
だいたいのコースが決まっていました。

卒業旅行に行ったりすると
誰もが寂しそうでした。

「社会人になったら自由がなくなる」
そう口に出す人はいなかったですが、
そういう思いはにじみ出ていたように思います。

そんな現実を受け入れて、あきらめて
だから最後にハメを外して楽しもうとしていた。

私は嫌だったので
皆と違う就職をしたつもりでした。

その結果がブラック企業です。

皆に比べて、はるかに自由なんてありません。
完全に会社の奴隷です。

自由を求めていたのに、
気づいたらなぜか、
自由のないところに行ってしまう。

「気づいたら」と言いましたが
誰に強制されたわけでもなく
紛れもない自分の意志です。

自分から進んで
奴隷のような環境に身を置いたのです。

これは私だけのことではありませんね。

「自由になりたい!」と起業したのに
まったく自由もないどころか
奴隷のようになっている人がたくさんいます。

たしかに、自分でビジネスをするのは
会社員時代に思っていたほどには
簡単なことでも楽なことでもありません。
厳しいものです。

ですが、奴隷のようにまでなって働く必要は
必ずしも無いのではないでしょうか。

売上を大きくすることや
事業を拡大して成長させることに
脅迫されるように
余裕なく、まるで何かに追われるようにして
走り続けている人は多いです。

とても疲れているように見えます。

でも、走るのを止めることはできない。
怖いからです。

本当に心の底から自由を求めていたのに
まったく反対の、自由がない状態に
自分から進んでいってしまう。

これは一体なぜなのでしょう?

ようやく、その理由も原理も
そしてそこから抜け出す方法も
見えてきました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA