人生は「自分が主人公の物語」なのに他人を気にして生きている

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こんにちは、TOSHIです。

私たちは皆それぞれが
「自分が主人公の物語」を生きています。

その物語こそが、人生です。

これを否定する人も
これに反論する人も、まずいないでしょう。

でも、「自分が主人公」ではない物語を
生きている人もたくさんいます。

私の周りでも
そこに気づいた人がたくさんいます。

そして、私自身も
かつては確実に
「自分が主人公」ではありませんでした。
自分自身の人生なのに。

私は30代前半まで
他人の期待に応えることだけを気にして
他人の目を常に意識して生きてきました。

だから、京都大学に現役合格もできた。

それにちょっと反抗して
皆とだいぶ違う就職をしてはみたものの、
勤め先ではずっと他人の目を気にして
他人の期待に応えることばかりを
第一に考えて行動していました。

そこに「自分」はありません。

「真面目」だと言われ、
それが苦しかったにも関わらず
褒め言葉だと思って
より一層、真面目になろうと努力しました。

変わり映えのしない毎日。

転職したり、転勤になったり
仕事もかわったりしましたが、
本質的には何も変わりません。

ただ、日々が過ぎていく。

休日にパチンコに行くことだけが
唯一の楽しみでした。

「こんな日々に何の意味があるんだろう?」

そんな思いに耐えきれなくなったとき
うつ病を発症していました。

きっかけは大きなストレス。

契約社員の身分で上にたてついて
明らかな嫌がらせ人事で地方に飛ばされたとき。

会社の厄介事に巻き込まれ
身に覚えのない責任を自分一人に押し付けられ
処理されそうになったとき。

なんで、こんなにも他人の目を意識して
期待に応えようと必死になっているのに
酷い目にあわないといけないのか。

3回目のうつ病で
私は人生を変える決断をしました。

「自分の人生の主人公は自分だ」

そうはっきりと表現したわけではありません。
すぐに決断できたわけでもありません。

でも、何かが変わったのです。
変えたのです。

やっと、私の時計の針が動き出しました。

そこからの数年間は、
そんな私への仕打ちや境遇への怒り
反発心をバネにして、
自分を奮起させて行動してきました。

ビジネスで結果を出すこともできた。

今は感謝すらしています。

そんな目に遭わなかったら
あんな仕打ちを受けなかったら、
私は目を覚まさなかったかもしれない。

いつまでも、「自分の物語」の主人公は
自分自身ではなかったのかもしれない。

そう考えると、恐ろしくもあります。

では、あんな苦しく壮絶な体験をしなければ
誰もが主人公を取り戻せないのか?

自分の人生の主人公を
ずっと他人に渡し続けることになるのか?

当時の私が探究の方法を知っていたら
少なくとも、うつ病になることもなく
自分の人生の主人公を
取り戻せていただろうと思います。

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