こんにちは、TOSHIです。
私が学生時代に受験勉強を頑張って
京都大学に現役合格したのは、
勉強したいことがある、とか
親元を離れて自立したい、とか
そういう理由もあるけれども
大きな理由は【見栄】でした。
「京大生カッコイイ」みたいな。
「もう馬鹿にされない」
「ムカつくあいつを黙らせられる」
もともと人間関係をうまく運ぶのが苦手で
友達関係で悩んだりしていたので、
印籠のような「これがあれば尊敬される」ような
インスタントな何かを求めていたと思います。
実際に、「京大に受かった!」となったら
周囲から「すごい」と言ってもらえました。
なんとなくチヤホヤされました。
が、京都大学に入ってみると
自分よりもすごい人間はいっぱいいるわけです。
私なんかは予習も復習もしっかりやって
やっとついていけるかどうか、なのに
授業を聞くだけでわかってしまう人とか
授業なんか関係なく自分でどんどん本を読んで
ガンガン進んでいくような人も
ゴロゴロいました。
「もう、絶対に勝てない……」
そう思った私は、新興宗教にハマったりして
迷走することになります。
そこからはなんとか抜け出したものの
同級生が就職するような大企業とか官庁とか
そういうところには行きたくありませんでした。
「皆が進むような道を行きたくない」
とか、馬鹿なようでカッコイイことを言っていましたが、
今考えると
「皆と一緒では埋もれてしまう!」
という切実な焦りがあったからではないかと思います。
だから、周囲の人たちは絶対に行かないような
怪しいブラック企業に就職してみたり。
さすがにそれはアホで
3か月も経たずに心を病んで退職します。
それで塾講師になって再出発。
実績を出して、評価を得て
給料を上げて、新しい仕事も任されて
最難関クラスを担当させてもらって……
無理をしすぎて
講習中にまた心を病んでぶっ倒れ
そのまま退職。
そしてまた保険代理店で、、、
同じことを何度も何度も繰り返すわけです。
なぜ、”他人との勝負”に勝ち続けても
むなしくなるだけで幸せにはなれないのか?
私は勝ち続けられたわけではないですし、
むしろ大きな負けも多かったのですが。
そもそも勝ち続けるなんて無理なのではないでしょうか。
上には上がいるものです。
どこまで行っても、化け物のような上がいます。
なんで、誰も教えてくれなかったのでしょう。
「他人と競って勝負して勝っても幸せにはなれない」
って。
自分だけの価値は(勝ちではなく)
しっかり別のところにちゃんとあるのに。