こんにちは、TOSHIです。
以前に書いた記事の内容ですが、、、
「自分らしく生きるのが良い」
なんて言われなければ
何も悩むことなく平穏無事に生きられたのに、
そんな価値観を植え付けられてしまったゆえに
自己啓発中毒になって悩みの渦の中にいる
なんてこともあり得るのです。
詳しくはこちらの記事を参照。
ここにはもっと大きな問題があると思っています。
それは現在の、
そして今後向かっていく社会の構造
とでも言えるでしょうか。
一言で言えば、「自由になる」ことの弊害です。
たとえば、「職業選択の自由」があります。
私たちは自分で仕事を選ぶことができますし、
いったん入った会社も辞めることができます。
「お前はこの仕事をしなさい」と
強制されることはありません。
会社で命じられることはあるでしょうけど、
会社を辞めてしまえば従う義務はありません。
当たり前だと思っているかもしれませんが、
時代や地域によっては
まったく当たり前ではありません。
むしろ、特殊な状況です。
歴史的に見ても、
生まれたときから職業が決まっていた
ということの方が多いのです。
農民の子は農民になるし
商人の子は商人です。
貴族の家に生まれなければ
貴族にはなれません。
……そんな状況は不幸なのか?
今の私たちの価値観からすると
ものすごく不幸なことでしょう。
でも、それが「ごく当たり前のこと」だったとしたら。
そこに何の疑問もなかったとしたら。
「自分にはどんな職業が向いてるんだろう?」
なんて考え、悩むことなんて絶対にありません。
職業は決まっているのだから。
もちろん転職に悩むこともありません。
転職なんてできないのだから。
その方が、ただ目の前の仕事と生活に
一生懸命に取り組んで
悩みなく豊かに暮らせたかもしれないのです。
「自由」というのは
ある意味で勝者の論理です。
自分で勝ち取ることができる
能力がある者にとっては天国です。
総取りすることだってできてしまうかもしれません。
ところが、弱者にとっては地獄です。
何一つ得られないかもしれません。
うまくいかないのは「自己責任」と言われ
「努力が足りないからだ」とされてしまうのです。
「自由」と言うと
無条件で「それは良いこと」とされがちですが、
こういう側面もあることを
考えてみるのも良いことだと思います。
ですが、私が何を言おうが
社会の流れはそうなっています。
だからこそ
探究して自分自身を知り、
ある程度の実力も備えていかなければならない
こういう立場で発信しています。