「結果を出すこと」をゴールだと思う悲劇

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こんにちは、TOSHIです。

前回の記事では
私のカルト宗教体験を書きました。

それに関連して
世間の皆が(私もあなたも含めて)
信仰しているカルトがあるのではないか
と思っています。

それは、いわば「結果教」とでも
言えるでしょうか。

「結果を出さなければならない」
というものです。

結果ありき、の考え方です。

私の話で言うと
「テストで良い点数を取る」
「良い成績を取る」
から、「良い大学に入る」になりました。

そして京都大学を第一志望にしたので
「京大に入る」ことがゴールでした。

そのゴールを目指しているときは良かったけど、
ゴールを達成した瞬間に
虚無感に襲われました。

・良い学校に入れば
・良い会社に就職すれば
・結婚すれば
・独立すれば
・マイホームを持てば
・月収100万円になれば
・資産が1億円になれば
・部長になれば
・入賞すれば
……

これらはゴールではなくて
どれも通過点です。

しかし、ともすると
ゴールだと錯覚しがちですし、
ゴールに設定してしまいがちです。

これが悲劇を生みます。

そして、私たちはまた
その設定がおかしいことを
腹の中ではわかっているものです。

だから、結果を出すためにゴールを設定しても
そこに向けて行動を続けられずに
途中で挫折することになります。

それが虚しいことを知っているからです。

大きな話をしてきましたが、
これは副業や起業など
ビジネスの話でも同じことだと思います。

私の周囲で、
「お金を稼ぐ」ことをゴールにして
ビジネスに取り組んだ人は
途中で挫折するか、
うまくいっても早い段階で辞めてしまいます。

私自身もそうです。

投資関係の情報発信ビジネスも
アフィリエイトも、やめてしまいました。

それは、うまくいかなくなったからではなく
お金にはなっていたけども
継続する気が無くなってしまったからなのです。

結果を求め、そこをゴールにしては
うまくいってもうまくいかなくても
待っているのは挫折だけです。

遅かれ早かれ、辞めることになってしまいます。

もちろん、結果が不要だとは言っていません。
結果も当然必要です。

ビジネスなら、お金を得なければいけません。

しかし、結果やお金を得ることがゴールではなく
別のことを探求していたら
付随して付いてくるものなのです。

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